田中宗一郎とChilli Beans.が語りつくす、「今」のレッド・ホット・チリ・ペッパーズが最高な理由

それぞれのファースト・インプレッション

ー新作の話に行く前に、まずは皆さんがレッチリというアーティストや、彼らの作品をどのように捉えているかをもう少し伺いたいです。

田中:チリ・ペッパーズが出てきたのは80年代後半なので、Chilli Beans.の皆さんはまだ生まれてもないですよね? 80年代後半から90年代前半にかけて、ポップミュージックがどういう時代だったのか、漠然としたイメージはありますか?

Maika:どうなんだろう? でもネットの記事では「レッチリはパイオニアだった」と書いてあるのが多いので、きっとその時代の中でも特殊な位置にいる人たちだったんだろうなとは思います。

田中: 当時は今と較べると、いろんな国やジャンルのクロスオーバーがあったんです。今って割とイギリスの音楽とアメリカの音楽とでは違うし、ロックとヒップホップではファンベースが離れている。でも88年から93年くらいまでは、イギリスのバンドに影響されたアメリカのバンドがいたり、その逆があったり。あるいは、特に90年前後はアメリカの東海岸と西海岸からたくさんラップアクトが出てきた時代なんですけど、ラップアクトとロックバンドが一緒のステージに立つことも多くて。つまり、ジャンルもクロスオーバーしてた時代なんですね。


Photo by Mitsuru Nishimura

Maika:80年代っていうと、マイケル・ジャクソンみたいなポップアーティストもたくさんいたイメージです。でも同時に、ロックバンドやラップアクトもいたし、いろんなアーティストがいたっていうことなんですね。

田中:そうです。今もいろんな音楽がありますけど、それぞれがバラバラじゃないですか。でも当時はそれなりにクロスオーバーしてたんです。88年くらいから93年くらいって、本当にオールジャンルでいろんなアクトがいて、どれもすごくて、っていう時代。チリ・ペッパーズはそういう時代のうねりの中から出てきたバンドなんだと思います。

ー田中さんがレッチリを聴き始めたのはいつ頃からなんですか?

田中:チリ・ペッパーズが出てきた80年代後半は、実はほとんどリアルタイムの音楽を聴いていなかったんですよ。僕は70年代後半から80年代初頭のパンク、ポストパンクの影響を受けた世代です。でも、MTVが勢いを持ち始めた85年くらいに、パンクやポストパンクから始まったいろんなサウンドやアイデアが巨大な産業に吸収されて、離散してしまった。だから、自分が愛した音楽は終わったと思って、ボブ・ディランを聴き直したり、フリージャズを聴いたり、ブラジル音楽を聴いたりしてたんです。だから、多分、初めて聴いたのは1989年の『Mother’s Milk』だと思うんですけど、きちんと聴くようになったのは『Blood Sugar Sex Magik』からだったと思います。



ー最初はどんな印象でしたか?

田中:最初聴いたときは、「彼ら、アメリカ人だよね? 白人だよね? でも、どう考えてもPファンクやってるよね? なんで? 今、何が起こってるの?」という興味でした。

ーなるほど。

田中:当時、僕は『ロッキング・オン』という雑誌にいたんですけど、その雑誌が「このアメリカのバンドが最高だ!」と言っていたのが、リンボーマニアックスっていうバンドで。彼らも基本的には、Pファンクとヒップホップ、それと当時ヒップホップと同じくらい勢いがあったワシントンゴーゴーを混ぜたようなバンドで。当時のロッキング・オン的な価値観では、リンボーマニアックス、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、それからポストパンクとメタルを掛け合わせたジェーンズ・アディクションっていう格付けだったと記憶してます。リンボーマニアックスは『Stinky Grooves』っていうアルバム1枚で解散してしまったんですけど、すごくいいアルバムなんですよ。ストリーミングサービスにはないんですが、たぶんYouTubeにはあるので聴いてみて下さい。「あ、同じ時代のバンドだ!」って感じると思います。

Maika:えっ、聴いてみたい!

Lily:メモ、メモ(笑)

田中:そのあたりのバンドはみんな、ヒップホップやラップの影響があって。当時はギャングスタ的な価値観を音楽に取り込んだ先駆者の一組でもあるコンプトンのN.W.A.や、非常に政治的なメッセージ性の強いアルバムを作ったパブリック・エネミーといったラップグループが爆発的な人気を獲得した時期。2010年代半ばと同じく、とにかくアメリカではヒップホップがものすごい勢いだったんです。そんなタイミングで出てきたのが、チリ・ペッパーズやリンボーマニアックス。彼らはファンクという70年代に生まれた黒人音楽を参照していたけども、当事者であるアフロ・アメリカンたちはヒップホップによって黒人音楽を革新していた。「じゃあ、俺たちは何が出来るんだろう?」という焦燥感から生まれたのが、彼らの音楽なんだと思います――っていう歴史の話でした(笑)。

Moto:レッチリは楽器がゴリゴリでも、メロがラップっぽいと感じるのは、そういうところなのかも。

田中:だと思います。リンボーマニアックスも是非あとで聴いてみてもらいたいんですが、彼らもラップっぽい歌なんですよ。でも、チリ・ペッパーズとリンボーマニアックスではボーカルのフロウがそれぞれまったく違うんですね。つまり、それぞれが違うラッパーに影響を受けている。そういうこともわかって、面白いんです。

ーChilli Beans.の皆さんは、バンドを結成するにあたっていろんなバンドを聴いていたときに、レッチリが一番ピンときた理由というのは?

Maika:パフォーマンスが特に刺さりました。全員が主人公みたいなスタンスがかっこよくて。バンドって、真ん中にフロントマンがいて、楽器隊は一歩後ろに下がって音楽を奏でる、みたいに思い込んでたところがあったんです。でもレッチリのライヴは、いきなりジャムから始まるし、その時点ではアンソニーはステージ上にいないし。「ボーカルはどこ? いつ出てくるの?」みたいな(笑)。それで曲が始まるギリギリになってステージに出てくるとか。パフォーマンス中もフリーは踊り狂ってるし、みんなそれぞれがやりたいことを一番前でやってるんですけど、全体のバランスは崩れない。全員が主張していて、全員が主人公なんですけど、ちゃんと成り立ってる。そのバランスがすごくかっこいいと思ったんです。だから私たちも、「全員がフロントマンみたいなバンドになれたらいいよね」っていう話から、「レッチリってヤバいね」ってなったんです。

Moto:レッチリは動きで魅せるところがあるし、メロディも自分がいままで聴いていたパンクやメタルと違うところがあって、ヒップホップやファンクとか、いろんな要素が入ってる。楽器は楽器で好きにやっていて、コード弾きとかじゃないですし。そういうのは初めて聴いたので、「すごい!」と思って。

田中:Motoさんはメタルやパンクでは、どのあたりを聴いていたんですか?

Moto:プリティ・レックレスとか、イン・ディス・モーメントとか、女性ヴォーカルのバンドをよく聴いてました。グリーン・デイや90年代のものなど、そんなに深くは知らないんですけど、ザ・クラッシュとかも聴いていました。

田中:僕、一番のフェイヴァリットバンドがザ・クラッシュなんです(笑)。15、6歳の頃、「彼らこそが自分の音楽だ!」と思って夢中になってました。19歳のときに、たった一度きりの来日公演があったんですけど、大学の入試の合間に観に行きました(笑)

Moto:ええー! いいな。

Maika:青春過ぎる(笑)


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