吉田拓郎の1970年代中盤、賞賛と中傷の両方を背に生きた20代後半を辿る





「FM-COCOLO J-POP LEGEND FORUM」アーティスト活動に終止符を打つと表明した吉田拓郎さんの軌跡をたどる5週間。今週はパート2、70年代中盤編。流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かなレジェンド」です。

2019年に拓郎さんが「LIVE ’73」というツアーを行ったんですね。その「73」は、73年ではなくて、「73歳」なんです(笑)。その時は、自分が詞を書いた自分の曲だけでツアーをやったんですね、岡本さんの詞の曲とか、松本隆さんが書いたものを歌わなかった。こうやって聞くと、岡本おさみさんの書いた詩が吉田拓郎さんのイメージをかなり決めてきたんだなと改めて思います。「落陽」にしても「襟裳岬」にしても、岡本さんがいなかったら生まれなかったでしょうし、あの曲がなかったら70年代の拓郎さんも存在しなかった。そこまで密接な関係はあったんですが、2人はかなり違うキャラクターでした。

「襟裳岬」がどうやってできたか。岡本さんの77年に出たエッセイ集『旅に唄あり』という本がありまして、今年8月3日に復刻されたんですね、生誕80年ということで、山陰中央新報社から発売になりました。未発表の対談とか、講演も収録されている。その中に「襟裳岬」がどうやってできたかというエッセイがあります。最初は「焚き火」という歌で始まって、そこから拓郎さんやディレクターといろんなやりとりをする中で、あの歌ができていった。「落陽」の“あの爺さん”はどういう人だったのかも書かれております。岡本さんがどういう生き方をした詩人だったか感じ取れる、そんな本でもあります。追悼原稿というのがありまして、南こうせつさんと私が新たに原稿を書かせていただいております。旅の詩人・岡本おさみ。拓郎さんも彼と出会うことで音楽人生が変わり、岡本さんも 拓郎さんと出会うことで全く人生が変わってしまった。そういう2人の稀有な出会いがこの頃の歌を生みました。吉田拓郎さんは、この後30代へ向かいます。



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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Rolling Stone Japan 編集部

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