吉田拓郎の1970年代中盤、賞賛と中傷の両方を背に生きた20代後半を辿る



1974年発売の曲「襟裳岬」。これも岡本さんの実体験ですね。森進一さんが歌ってレコード大賞を受賞して、フォークソングの貴公子と演歌の星が出会った。演歌とフォークの壁が壊れたと言われたりしました。そういう意味では歴史的な曲ですね。これはビクターレコードのディレクターが、この間亡くなった山本コウタローさんがいたソルティー・シュガーのメンバーだったんですね。ディレクターとして独り立ちして、森進一さんをやることになって、誰も作ったことのない曲を作りたいと、岡本さんのところに詞が回ってきたという経緯がありました。

この曲の入った74年の作品『今はまだ人生を語らず』が、ソニーでの最後のアルバムになったんですね。先週お話した、拓郎さんがエレックからソニーに移った。印税というシステムがなくて月給制だったエレックレコードに見切りをつけて、メジャーのCBSソニーに行って、オデッセイレーベルという自分のレーベルも持っていた。当時としては画期的でした。ソニーでは五輪真弓さんが自分のレーベルでデビューした例がありましたが、男性のシンガーソングライターでは拓郎さんが最初でしょうね。





1974年12月発売のアルバム『今はまだ人生を語らず』から「人生を語らず」、そして「知識」。2曲とも作詞は拓郎さんです。今週の選曲で最後まで悩んだのが、「知識」と、『Live ’73』の中の「ひらひら」だったんです。どっちにしようかなと思って、それぞれの曲を入れたときのパターンを考えました。「ひらひら」は紹介されることが多いですが、「知識」は多分放送では流れないだろうなと思って、あえて「知識」を選んでみました。すごいでしょう? この「知識」。「かんばんだけの知識人よ 首が飛んでも 血も出まい」。多分拓郎さんが一番嫌がるタイプの曲でしょうね(笑)。一番触れたくない、思い出したくないのが、この頃の自分のあり方なんじゃないでしょうかね。

Rolling Stone Japan 編集部

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