吉田拓郎の1970年代中盤、賞賛と中傷の両方を背に生きた20代後半を辿る

あっち側・こっち側という、音楽業界にもそういう区別があったり、30歳以上を信じるなという世代のギャップがあったりした時代です。岡本さんが書いていた世の中に背を向けたような若者の歌と、拓郎さんが既成の権力、既成の何かに対して立ち向かっていく歌。この両方が、この頃の拓郎さんですね。「俺たちの拓郎」と言ってしまいましょうか。 でも一番恥ずかしいのが、この若気の至りの産物のような歌でしょうね。拓郎さんがあの頃のことをあまり思い出したくないという気持ちはすごく分かる気がします。そういう拓郎さんに、やっぱり世の中に対して、どうにもならないような不満とか違和感とか、これでいいのかと思っていた若者たち、まあ、僕らが喝采を送ったんですね。

先週流した『よしだたくろう・オン・ステージ!!ともだち』の中にあった、「拓郎ちゃん」という黄色い歓声の代わりに、「拓郎!」という太い声が飛ぶようになってしまったんです(笑)。このアルバムの後に、彼は小室さん、陽水さん、泉谷さんと、フォーライフレコードを設立しました。ミュージシャンが経営するレコード会社。契約される側だったミュージシャンが契約する側に回った。これは一つの革命だと思いました。フォーライフレコードからの拓郎さんの第一作をお聞きいただきます。1975年9月発売、「となりの町のお嬢さん」。



1975年8月2日から3日にかけて、静岡県掛川市の嬬恋多目的広場に6万人あまりを集めて「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」という史上初のオールナイト野外コンサートが開かれました。このライブ映像のオープニングで流れていたのが、「となりの町のお嬢さん」ですね。フォーライフレコードの第1作のシングルですから、シリアスな歌よりも、楽しく明るい歌にしようよと、こういうシングルになったんでしょうね、1975年、吉田拓郎さん29歳でした。

Rolling Stone Japan 編集部

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