ウクライナの人気ロックスターが、母国防衛に協力する理由「今は戦士になるしかない」

「昨日も寝る前に、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』を聴いた」

「マッシヴ・アタックのリーダーのロブ(・デル・ナジャ)が、戦争が始まったその日にメールをくれて、自分や他の人たちに何かできることはないかと尋ねてきた。俺はウクライナについて話題を広めてほしいと頼んだ。彼らは今もそうしてくれている。キエフにある俺たちの大好きなスタジオには素晴らしい機材があるんだが、そこも危機にさらされていた。今のところまだ崩壊はしていない。戦争が始まって1週間後、活動の途中でキエフに1日立ち寄り、残してきたハードドライブや楽曲を全て回収した――コンピューターやギターやアンプ、何から何まで俺たちにとっては大事なものをすべて運び出した。今じゃスタジオはもぬけの殻だ。唯一運び出せなかったのは大きなアコースティックのスピーカーだけで、あとは全部運びだした。だが俺が生まれ育ち、チームの大半が活動拠点とする街で、手ごろな広さのスタジオを見つけた。大勢のプロデューサーや音楽マネージャーやコンサートのオーガナイザーから連絡があって、世界各地で様々なチャリティコンサートやらチャリティイベントに参加してほしいと俺たちや他のミュージシャンに打診があった。無理な話さ、俺たちは――少なくとも俺と仲間は――ここに留まって国を守っているんだから。だが、俺たちは代表曲をいくつか収録することにした。突如スタジオに入って、「You Are So Beautiful」を収録することにした。グランドピアノがあったので、それを弾き始めた。祖国に捧げようと思った。

いつか戦争が終わったら、きっと全てが終わる日が来ると思うが、ウクライナ人が――世界の人々も――すべてに思いをはせ、振り返る日が来るだろう。思い出や本や映画になるときが来ると思う。俺がこうして語っていることも、きっと思い出の一部になるだろう。でもこういうのはむしろ非現実的だ。想像してみてくれ、俺は病院でロシア軍の攻撃で負傷した人々を目にしてきた。足や内臓がない子どもや、両親を亡くした人を見てきた。ウクライナ第2の都市ハルキウの中心地がすっかり廃墟と化し、1941年のロンドンかコヴェントリーみたいになっているのを見た。実際にこの目で見て、肌で体験するんだ。感傷に浸る余裕はない。感情に流されれば涙が止まらなくなる。俺も戦士のテクニックを使ってできるだけシニカルになろうとしている。でも夜1人で眠りにつく時には、詩を書いたり、家族に電話したり、好きな音楽を聴いたりする。子どもの頃はビートルズやレッド・ツェッペリンのようなクラシックロックを聴いて育ったが、今ではなんでも聴いている。移動の時も音楽を聴く。この間はアレサ・フランクリンやマーヴィン・ゲイを聴いていた。ジャズも好きだ。昨日も寝る前に、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』を聴いた。俺はふたたびスラヴァに戻り、感性豊かなミュージシャンとして、クリエイティブな自分に満足する。だが日中は国が必要とする人間として、周りの人々を鼓舞する。強く、エネルギッシュで、ポジティブな人間にならなくては」

Translated by Akiko Kato

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