チャーチズが語る未来志向のアルバム、「恐怖」を巡る物語、フェミニズムの精神

「スクリーン」と実人生の関係

ー少し話は戻るんですが、『Screen Violence』というタイトルは様々な解釈ができるものですよね。「California」という曲では繰り返し“Pull me into the screen at the end(最後に辿り着くのは、スクリーンの中)”というフレーズが歌われます。「スクリーン」という概念は、この作品においてポジティヴなものなのでしょうか? それともネガティヴなものなんでしょうか?

ローレン:ワォ。あなたが言う通り『Screen Violence』というタイトルには複数の意味が込められています。一つはこのアルバムのアートワークにも使われている、デヴィッド・クローネンバーグの『ヴィデオドローム』というホラー映画からの影響を表していて。で、もう一つは、あなたが言っているような「問い」の投げかけです。「スクリーン」は、私たちにとって果たして良きものなのかどうか。これがなかったら、私達は去年一年間まるっきり友人や家族とコミュニケーションを取ることが出来なかったでしょうし、仕事だって、趣味だって楽しめなかったはず。

でも「スクリーン」越しに視る世界は、現実とは似てるようで実は全く違うものですよね。何が真実で、何が嘘なのかはもはや誰にもわからない。けれど、そこには確かに「恐怖」があって、その「怖れ」のワームホールの中に人々が吸い込まれてしまう理由もわかります。誰にとっても正しい真実なんて存在しないんですよ。みんな、自分の都合のいいように現実をキュレーションしているだけ……それって、とても恐ろしいことですよね。


Photo by Sebastian Mlynarski/ Kevin J Thomson

マーティン:「スクリーン」と人間が不可分なものになっていくと、最終的には「自己の概念とは一体何なのか?」という問いに辿り着くと思うんです。デジタル機器に100%依存し、身体というものがただの肉襦袢に過ぎなくなった時、意識は肉体を離れ、デジタルの中で生きることすら可能になるーそうなった時には「自分とはなんなのか? 他者とは誰なのか? 有機的な身体を伴わない自己とは一体なんなのか?」という問いが生まれてくるはずで。私にとって「スクリーン」というものの善悪や執着について考えることは、そういった根源的な疑問につながっていくと思うんです。

テクノロジーと人間の未来について話をするときに、よく「サイボーグが現れるのはいつか?」「AIはいつ実現するのか?」というような議題が俎上に上がりますが、よく考えてみると、僕らはもうすでにサイボーグみたいなものじゃないですか? 「スクリーン」と人間の関係は、もうすでに取り返しがつかない地点にまで辿り着いていて、さらに深く・速く一歩方向に進み続けている。もう誰にもこの進歩を止めることはできないはずです。

このアルバムを作っている間、ずっとそんなことを考えていました。そこから派生して、楽曲の上で過去と未来を融合させるにはどうしたらよいのか……古い技術と最新の技術のどちらも使って、未来志向のアルバムを創るためには何をしたらよいのかー進歩し続けるために、自分たちに何ができるのかってことを、これまで以上に考えていましたね。

個人的には「スクリーン」を自分は恐れてはいませんし、不可逆的な進歩の流れの中で、きちんとそれをコントロールできるようになりたいと思っています。いずれは、人間が音楽を創るなんて行い自体が廃れていくかもしれないですが……それが許される限り、僕は音楽を作り続けていたいなと思っています。



ーメイベリーさんは、このアルバムの制作に入る前に長いお休みを取られたそうですね。10年間という活動の中で様々な精神的な苦労があった末の「休暇」だったそうですが、この作品にはそういった一連の経験も影響しているのでしょうか?

ローレン:すごく反映されてますね。私がお休みをとったのは、別に「もうバンドなんかやりたくない!」って思ったからじゃなくて、自分の精神衛生上、どうしても休みが必要だったからなんです。音楽を創ることが、私は大好きですけど、仕事としてこれをやるのは決して万人にオススメできるものではないと思っていて……なぜなら絶え間なく、あらゆる方向から「暴力」に晒されることになるからなんですね。

みんな、割と簡単に「でも、それってネットで悪口言われるとか、そういうレベルでしょ?」みたいなことを言うんですけど、私からしてみたら「一日何百件も殺害予告とかレイプするぞって脅迫を受け続けてみてから、そういうことは言ってよね」って思う。送る方は気軽にやってるかもしれないけれど、受け取る側からするとめちゃくちゃリアルで怖いことなんですよ。普通に落ち込むし、頭がおかしくなる。

バンド活動を始めてから、お休みを取るまで、10年間一度もそういうことについてじっくり腰を据えて考えたことがなかったんです。毎日めちゃくちゃ忙しかったから。「たしかにこれはクソみたいなことだけど、ツアーがあるし、プロモーションだってあるから、とりあえず今やれることやっとかなきゃ……」って感じで。でも、いざ時間をとってじっくり考えてみると「バンドやってるっていうだけで、こういう気持ちを味わなきゃいけないのって、マジでクソだな」って改めて思ったんです。

この作品における「恐怖」っていうモチーフは、自分の体験と強くつながっていて。それをどう解きほぐして、みんなが共感できるような曲に昇華するかっていうのが、ミソだったんだと思うんですけど……さっきも言ったように明白な「答え」はないんですよ。自分が体験したことを書くしかない。これから先、また同じような「恐怖」に苛まれるかもしれないし、この時代そのものや他者と自分が今後どう向き合っていくのかはまだわからない。

だけど、一つだけ確かなことはあって。それはそういう辛い経験をしたけれど、私は「生き残った」っていう事実なんですよ。それは、私が耐え忍ぶことができたという力の現れだし、希望でもある。さっき例に出してくれましたけど、「Final Girl」っていう曲に出てくる語り手の女性は辛い状況から逃げ出そうとしてるんですね。で、最後は「とりあえず逃げ切ったっぽいぞ……」と、聴き手に解釈を委ねるようなオープン・エンディングになっている。明確な結末はないんだけど、今の時代のフェミニスト・ホラーにおいては、これが描ける限りのリアルなハッピー・エンディングだと自分では思ってるんです。

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