チャーチズが語る未来志向のアルバム、「恐怖」を巡る物語、フェミニズムの精神

フェミニズムと楽曲に込められた「痛み」

ー話は変わるんですが、メイベリーさんのご自宅にはキャスリーン・ハンナさん(フェミニスト・パンクバンド、ビキニ・キルのリード・シンガーで活動家)の大きなポスターがありますよね?

ローレン:え、なんで知ってるの?! ちょっと待ってて今、連れてくるから(画面から猛ダッシュで消える)! 

ーあ、別に持ってこなくても大丈夫なんですけど……いなくなっちゃった(笑)。

ローレン:ほらね(額装された巨大なポスターを掲げて見せてくれている)! 彼女は今、私の家のバスルームに住んでいて、ずっと見守ってくれてるんです。よく知ってましたね、私がこのポスター持ってるって。

ーなんかストーカーみたいで、すみません(笑)。以前、ご自宅からライブ配信をされていた際に、そのポスターが写り込んでいたのを覚えていて。

ローレン:あぁ、そうだったんですね。でも、覚えていてくれて嬉しいです。



ー以前、メイベリーさんはイギリスの音楽メディア『NME』でキャスリーン・ハンナさんにインタビューもされてましたよね。あの記事はすごく勉強になりました。『Screen Violence』には、フェミニズム的なナラティヴやストーリーが描かれていますが、メイベリーさんはアーティストとしてどのようなアプローチでこの思想と向き合おうとしてらっしゃいますか? 先人たちが紡いできた歴史や物語のその先に何をどんなふうに描こうとしてらっしゃるのかを伺いたいのです。

ローレン:そうですね。キャスリーン・ハンナやアラニス・モリセット、リズ・フェア……多くの女性のミュージシャンたちが、様々なナラティヴで自分の経験を語ってきました。彼女たちが作った楽曲はヒット・ソングとして多くの人々に届きましたが、特に女性たちにとっては「特別なもの」として響いたのではないかと思います。あるインタビューでリズ・フェアは「自分にとって音楽を作ることは、歴史の1ページを書き記すようなもの」と言っていました。歴史や芸術を一冊の本に例えると、そのほとんどのページは男性によって書かれています。

これまでチャーチズの作品は、私が女性ということもあり、フェミニズム的な側面から分析されることが多々ありました。でも、創り手として私は直接的にフェミニズムについて書いていたというような実感はまるでなかったんです。このアルバムー『Screen Violence』こそが、フェミニズムについて深く掘り下げて書いた初めての作品だという実感があります。この10年間、私はずっと自分が望まない形で「女性であること」と結び付けられてきました。でも、今はそういう話になっても自分の意志で、自分自身の音楽に準えて女性性やフェミニズムについて話すことができるんです。

ただ、一つ思うのは、この作品で描かれている「脆さ」に共感してくれる人がいたら嬉しいなってことです。私はフェミニズムという思想の「クソみたいなことは無視して、やるべきことをやって、自分のやりたいことをなにがなんでもやりとげる」ーみたいなアティチュードが大好きですし、それを支持していますが、同時に「そうしたくてもできない人もいる」ということも知っているので。「それでもいいんだよ」っていうことは描きたかった。その人自身の固有の経験を、その人自身のオリジナルな声で語るということが大切なんじゃないですかね。それが新たな歴史の1ページを書くということなのかもしれません。

ー私はシスジェンダーの男性なので、メイベリーさんが経験されたことを完全に理解することはできないし、簡単にわかった気になってはならないと思うのですが、楽曲に込められた「痛み」の切実さと生々しさは聴いていて、激しく心動かされるものでした。女性のファンやリスナーの方にとってはもっと特別な、パーソナルなものとしてこのアルバムは受け止められているんじゃないでしょうか。

ローレン:この作品を聴いた女性のリスナーの反応は嬉しいものばかりですね。「曲の中に自分がいる。こんな風に自分のことを歌ってくれる曲をラジオで聴けるとは思わなかった」なんて言ってくれるんです。作家として、一番嬉しいのってやっぱり誰かの心に響くような作品が書けたときで。曲作りって、そもそもすごくパーソナルな行為なんですよ。「この想いを吐き出したい」という欲求がまず最初にある。吐き出したあとに、それを精査して、表現に変えていく。そういうプロセスを経て作られた楽曲が世の中に広まって、誰かの人生に忍び込み、聴く人にとって特別な意味を持つようになる。私のパーソナルな想いが、誰かの固有の経験やつながりを思い起こさせるわけです。それって素晴らしいことですよね。

今は違いますけど、以前はライブをするのがすごく嫌だったんです。なんか毎回、審査されているような気分になっちゃって緊張しちゃうんですよ。そうなると「今日は絶対うまくいかない」っていう想いに取り憑かれて、落ち込んじゃって。でも、今は「お客さんは私たちの音楽に特別な思い入れがあってライブにきてくれている。私はかれらの想いを投影するスクリーンとしての役割をまっとうすればいい。気負う必要はない」って思うようにしていて。私自身が素晴らしい人間だからライブにお客さんが来てくれているわけじゃなくて、私たちの曲が聴く人にとって意味のあるものだからライブに来てくれるんだって思うと……気が楽になるんです。



ー最後に次の作品についての構想も伺いたく。『Screen Violence』がこれだけヘヴィで意欲的なアルバムだったので、次にチャーチズが何に挑戦するのかは気になるところではあるんですけど。

ローレン:そうですね……(笑)。今、マーティンと顔を見合わせちゃいましたけど、実は次の作品に向けてはすでに動き始めていて。でも、まだそれについて何かを話すには早すぎるかなぁっていう感じですね。『Screen Violence』のナラティヴは継続していくんじゃないかなぁとは思ってます。今回のアルバムはストーリーテラーとしての自分たちにとっては「自由」で作っていて、とても楽しいものだったんです。現実に根ざした、エスケーピズムを追求することができたので。今、リスナーはみんな音楽に「逃避」を求めているんじゃないかと思うんですよね。ライブに思うように行けない今のような時期にファンやリスナーに「逃避」を感じてもらえるような作品世界を創り上げるためにはどうしたらいいのかーまだ『Screen Violence』の物語は終わっていないので、そのことについて今は考えていますね。次の作品のヒントは『Screen Violence』の中にあると思います。この作品に描かれている、フィクションの世界と現実の関係性をより深く探ってもらえればみえてくると思います。

マーティン:ローレンが言ってるように、まだ『Screen Violence』の物語は終わっていないので、次の作品について語れることはそんなにないんですけど。でも、この勢いに乗って、次のアルバムも作っちゃいたいなとは思ってますね。ローレンはこの作品の制作にあたって、リリシストとして、この言葉が適切かどうかわかりませんがークリエイティヴ・ディレクターとして、非常にはっきりとしたヴィジュアル・イメージを提示してくれました。「このアルバムは、こんな音になると思う」みたいな感じで……そのプロセスがすごくエキサイティングなものだったんですよね。そのイメージをみると、サウンドが浮かび上がってくるような感覚がありました。この作業を私たちは今後も続けていくつもりでいます。素晴らしいものになると思いますよ、楽しみにしていてください。

ーいつになるかはわかりませんが、日本にもまたぜひ遊びに来てくださいね。

ローレン:本当に! 海外のファンの人達は私たちのライブを観る機会がなかなかないし、こんな状況だとなおさらで。『Screen Violence』の世界をどうやったらもっと楽しんでもらえるかいろいろ考えてはいるところなので……。

マーティン:『Screen Violence』は、すごく自信のある作品だからぜひ日本のみなさんにも聴いてもらいたいし、またライブしに行きたいって思ってるよ。

ー今度は、スクリーン越しではなく直接お会いしたいですね。

ローレン:ははは(笑)。ノー・モア・スクリーンだね、本当に(笑)。




チャーチズ
『Screen Violence』
発売中
※国内盤はボーナストラック1曲収録、歌詞対訳・解説書を封入
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11870

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