J-POPの歴史「1984年と1985年、ニューミュージックから新世代へ」

「J-POP LEGEND FORUM」でDJを務める音楽評論家・田家秀樹。手にしているのは吉田拓郎「ONE LAST NIGHT IN TSUMAGOI」のCDジャケット。



故・佐久間正英氏とBOØWY の出会い

いやぁ、かっこいいですね。85年6月1日発売、BOØWY の1stシングル「ホンキー・トンキー・クレイジー」。アルバムが6月21日に出た『BOØWY』ですね。東芝EMI発売。「ホンキー・トンキー・クレイジー」が出て、アルバム『BOØWY』の間に、あの「ALL TOGETHER NOW」がありました。国立競技場でニューミュージックから次の世代にというバトンタッチの式典が行われているとき、それを横目に、このアルバムとシングルが出たんですね。プロデューサーが佐久間正英さん、レコーディングがベルリンハンザ・スタジオ。もともと徳間ジャパンとビクターでリリースしていたので、決してインディーズではないんですけど、いわゆるメジャーデビュー的な感覚は東芝EMIからですね。そして、プロデューサーに起用された佐久間正英さんが「BOØWYをお願いします」と言われたときに1つ条件を出した。佐久間さんはこの条件を出せばきっと断ることができるだろうということで、ベルリンのハンザスタジオに行きたいと言ったら、「いいですよ」と言われてしまったんです。佐久間さんはここからBOØWY、そして氷室さんとずっと関わることになっていきます。

ここから70年代のはっぴいえんどの重めなウェストコースト風なドラム、ベースのリズムから、ハネるような、布袋さんの足が見えるようなビートに変わっていったんですね。縦ノリのビートバンド。そしてBOØWYも音楽雑誌ですよ。PATi・PATiでしたね。BOØWY があまりにも売れたために、PATi・PATiからBOØWYメインのロック雑誌というのが生まれました。PATi-PATi ROCK’ N’ ROLL。このあとぐらいからアマチュアバンドのコンテストになると、出場者の大半がBOØWYを演奏し、審査員がまたBOØWYかよと呆れた顔をする。そういう時代が来るわけです。世代交代とバンドブーム。その間の中で生まれた名曲です。

サザンオールスターズ / メロディ

いやぁ、屈指の名曲。もしサザンで1曲好きな曲を挙げてくれと言われたら、僕はこれを挙げるかもしれない。この曲が入ったアルバムは9月13日に出た『KAMAKURA』ですね。当初6月の発売だった。そして7月からツアーをやることも決まっていた。でも、レコーディングが延びて全部キャンセルになって、9月発売になりました。曲が増えすぎてしまったんですね。2枚組になりました。レコーディングが終わってテープが工場に届いたのは発売の20日前だった。レコーディング時間数1800時間。なんでそんなに時間がかかったかというと、デジタル化ですよ。いわゆるサンプラーとかデジタルシンセとかドラムマシーンとか新しい機材がたくさん出てきて、それを使いこないたりしているうちに、これだったらもっといろいろなことができるねみたいなことで、どんどん時間が経ってしまった。そういうレコーディングでした。

アルバムの1曲目は「Computer Children」でしたらからね。デビュー当時のサザンオールスターズはアメリカ南部のロックンロールバンド的な、ちょっと肉体派的な若者たちだったんですが、それを卒業しました。そういうコンピューターを扱ったアルバムの中で、シングルカットされたのが、この「メロディ」ですよ。音楽で1番肝心なのはメロディなんだ。彼らの気概みたいなものが伝わってくる、そんな曲だと思いますね。アルバムの中に「吉田拓郎の唄」というのがありましたね。お前の歌が俺を悪くしたっていう。拓郎さん引退という噂を受け取めて、彼らはこういう送る歌を書いたりしました。国民待望の2枚組。国民的ロックバンドという呼び方は最近よく使いますけど、僕はこのサザンの『KAMAKURA』で初めて見た気がしますね。

REBECCA / Maybe Tomorrow


85年11月に発売になった4枚目のアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』の最後の曲ですね。このアルバムの1ヶ月前10月にシングル『フレンズ』が出たんですね。この『フレンズ』が女の子を直撃しました。当時、少女漫画の中に1番たくさん歌詞とかグループ名が吹き出しなんかで出てきたのがREBECCAでしょう。アルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』はバンド史上初めてのミリオンセラーアルバム。BOØWY が翌年にミリオンを出すんですけど、BOØWY より一足早かったんですね。男子を直撃したBOØWY と、女子をロックの虜にしたREBECCA。NOKKOさんの書く歌詞と、土橋安騎夫さんのヨーロピアンなちょっとしめった霞がかかったようなメロディがアメリカのシンディ・ローパーなんかとちょっと違う日本的なガールズロックを作りましたね。

85年12月に彼らが初めて渋谷公会堂でライブをやって、そのライブ映像が去年DVDになって、今年完全版が発売になりました。このREBECCAの渋公のライブは素晴らしいですよ。NOKKOさんが何かに乗り移ったかのような、本当に必死な、私の人生はここ変わる、このために私は生きてきたんだ、ここで死んでもいいんだみたいな、そういうパフォーマンスなんですね。今年、89年の東京ドーム、BLONDSAURUSのライブ映像作品も出ましたけど、こちらは完成されたREBECCA。この変わり方が実に劇的で、今見ても当時のライブはこういうライブだったんだってことがよくわかって、貴重な映像であります。

「J-POP LEGEND FORUM」

流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。いやあ、今日おかけした曲、いかがでしょうね。みんないい曲だったなあって、聴きながら忘年会気分になって、お酒を飲みたいなと思ったりしました。でも1人でこういう曲を聴いてお酒を飲んでいると悪酔いするんですね。あまりにもいろいろなことを思い出しすぎたり、切なくなったり、愛おしい年だったなと思ったりすると、お酒から抜けられなくなります。

さっき話しましたが、音楽雑誌がいっぱいありましたね。PATi・PATi、新譜ジャーナル、GB、B・PASS、音楽専科、ベストヒット、ARENA37、僕よく書いたのはPATi・PATi、新譜ジャーナル、GB、ベストヒット、B・PASSかな。どこでどのアーティストを書いたかいまだに覚えています。編集長の顔も思い浮かびます。PATi・PATi吾郷さん、新譜ジャーナル大越正実さん、GB塚本忠夫さん、ベストヒット飯名さん。B・PASS小松さん、みんな元気かなって思ったりする年の瀬でありますね。僕は70年代、最初は編集者で、その後、放送作家だったりしました。そして雑誌編集者にまた戻って音楽だけ書くようになったのが83年。尾崎豊さんが出てきて、彼がステージで、俺は教室でカセットテープを聴いていて、先生はやめろと言ったけど俺はやめなかったんだ。やめないでブルース・スプリングスティーンやジャクソン・ブラウンや浜田省吾や佐野元春を聴いていたんだと叫んでいた。「Scrambling Rock’n’Roll」ですよ。それを聴いて、俺もまだやることがあるなと思ったんですね。こういう世代に何かが伝えられたら、僕は音楽の周辺にいて自分も楽しくやれるし、やれることがみつけられるなと思ったりしました。あの時代の音楽雑誌は本当に懐かしいです。自分の人生1番楽しかった。1番印象深かったのは何年かと言われたら、1985年だったなというふうに今改めて思いながら今週はお別れしようと思います。

来週は86年、87年。やっぱり楽しい2年間でした。

サザンもユーミンも、これから先、いろいろな形で出てきます。あなたと私の忘年会。来週も楽しませていただけたらと。お前が1番楽しんでいるだろうと? そんな時間でもありますが(笑)。



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210
OFFICIAL WEBSITE : https://cocolo.jp/
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