J-POPの歴史「1984年と1985年、ニューミュージックから新世代へ」

「J-POP LEGEND FORUM」でDJを務める音楽評論家・田家秀樹。手にしているのは吉田拓郎「ONE LAST NIGHT IN TSUMAGOI」のCDジャケット。



フミヤが語った「週刊明星からディクショナリーまで」の真意

先ほどお話しした「ALL TOGETHER NOW」で、チューリップのピックアップメンバーのステージでピアノの中から登場したのがチェッカーズだったと思います。福岡県久留米市出身のドゥーワップグループ。81年の「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」のジュニア部門、最優秀ジュニア部門。高校生が2人いたんですね。83年に「ギザギザハートの子守唄」でデビューしたんですが、自分たちの音楽性に対して、これは演歌っぽくて嫌だっていうことで拒否した。その話は有名ですね。

80年代のはじめは、松田聖子さんをはじめいわゆる、女性のアイドルがどっと出てきたときで、80年代はいわゆるたのきんトリオー田原俊彦、近藤真彦、そういう3年B組金八先生出身というのが男性アイドルの1つの新しい流れだった。そんな中、チェッカーズはどこにでも出てきたんですね。初めて取材したのが85年の3枚目のアルバム『毎日!! チェッカーズ』のときだったんですけど、そのときの印象がすごく強かった。彼らは週刊明星から、芸能史から、テレビから全部出ていました。アイドルなんだけど、アイドルじゃない。音楽の理屈理論、イメージ、情熱、すべて持っているんですね。僕らはこういう音楽をやりたいんです。でもアイドル扱い全然構わないんですっていうのが、とっても新しい感じがしました。フミヤ(藤井郁弥)さんの当時の口癖がありまして「週刊明星からディクショナリーまで」。1番柔らかいところから1番硬いところまで俺たちは出て行くんだよという、そういうグループでありました。

さて、次の人たちも「ALL TOGETHER NOW」組ですね。

THE ALFEE / 星空のディスタンス


THE ALFEEの17枚目のシングルですね。ALFEEは、デビューしたとき、再デビューしたとき、「星空のディスタンス」を出しているときと、表記が少しずつ変わっているんですね。で、THE ALFEEになっています。再デビューして、これは15枚目のシングルなんですよ。そんなに時間がかかっていたんだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、70年代の不遇でレコードも出せなくて、かまやつひろしさんや研ナオコさんのバックをやっていた。82年に再デビューして、そこからここまでさらに10枚以上のシングルを出し、前作の「メリーアン」で爆発した。ここで、今でも必ずステージで歌うという代表曲が出来上がったんですね。作詞が高橋研さんと高見沢俊彦さんの共作です。もともとの詞は、「燃え上がる! 愛のレジスタンス」だったそうです。でも高見沢さんがどうしても「燃え上がる」は客観的すぎるから、「燃え上がれ」にしてくれと変えたというエピソードがありますね。

THE ALFEEもそうですけど、この頃のアーティストを支えていたのが音楽雑誌でした。みんなテレビにあまり出ませんでしたし、芸能誌からもあまり取材を受けなかった。チェッカーズは別ですけど、みんなラジオと雑誌だったんですね。THE ALFEEは新譜ジャーナルとGBが多かった。84年に新しく創刊したのがPATi・PATiです。GBという雑誌は77年に創刊して、中島みゆきさんとかオフコースとか、フォーク系のアーティストは割と出ていたんですね。チェッカーズがデビューしたとき、GBはチェッカーズをやらないと言ったんです。「これはアイドルだから僕らはやらない」と。それに反発してソニーマガジンズで「チェッカーズいいじゃん」って言っている編集長・吾郷輝樹さんが、俺自分で作るからと始めたのがPATi・PATiなんです。チェッカーズ、尾崎豊、吉川晃司で1年間持たせた。それが創刊当時ですね。吉川晃司さんは84年2月に「モニカ」でデビューして、大判の写真メインの音楽雑誌の全盛期というのが来るんです。GBはTHE ALFEEもそうですけど、彼らの前からこの人たちが看板でした。

オフコース活動再開シングル、84年4月に発売になりました。「君が、嘘を、ついた」

オフコース / 君が、嘘を、ついた


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