J-POPの歴史「1984年と1985年、ニューミュージックから新世代へ」

「J-POP LEGEND FORUM」でDJを務める音楽評論家・田家秀樹。手にしているのは吉田拓郎「ONE LAST NIGHT IN TSUMAGOI」のCDジャケット。



尾崎豊、衝撃的なホールコンサート初日

先週、尾崎さんの「街の風景」をお聴きいただきましたが、あの曲が1曲目だったアルバム『17歳の地図』が、いわゆるレコード会社が決めた最低出荷枚数にも満たない、本当に数が少ないイニシャルだったんですね。でも、84年8月に日比谷野外音楽堂で「アトミックカフェ・ミュージック・フェス’84」という反核コンサートがありました。浜田省吾さんとか、加藤登紀子さんなんかも出ていたんですが、このライブで尾崎さんがPAから飛び降りて骨折したんです。この噂が業界、そして若い人たちの間を駆け巡りまして、尾崎何者? となって、改めて『17歳の地図』がみんなに訊かれるようになった。そして85年3月に2枚目のアルバム『回帰線』が出たんです。これが初登場1位だった。劇的でしたね。

ホールコンサートも始まりました。日本青年館が初日だったんですけど、これが衝撃だったんですね。こんなコンサートをやる若者は初めてみた。何が衝撃だったかって、エンターテイメントという言葉では語れない、自分の中のモヤモヤした何か、衝動、苦しみ、悩みとかを全部叩きつけて塗りたくっているようなステージだった。ステージを這いずり回り、転がりまわり、みたいな。妙な言い方ですけど、そのときに彼は長生きしないなって漠然と思いました。8月25日に大阪球場で10代のシンガーソングライター初めての大阪球場コンサートというのがありました。その前に、週刊朝日という週刊誌で今の音楽シーンを語るみたいな座談会があったんですね。残間里江子さんや山本コウタローさんとかの中に僕も入れてもらって、尾崎ってどうなのって話をコウタローさんが振った。そのとき、朝日新聞の写真部に尾崎豊の写真がなかったんです。つまり、大人は全然知らなかったという例ですね。尾崎さんについては来年1月3日から16日までドキュメンタリーが公開されます。『尾崎豊を探して』。尾崎を撮り続けていた映像監督・佐藤輝さんの未発表、95分のドキュメンタリーです。

85年夏というのは、本当に劇的な移り変わりの年でした。拓郎さんのつま恋があって拓郎引退という噂があって、萩原健一さんがよみうりランドでライブをやって、しばらく萩原さんは音楽から離れる。で、大阪球場で尾崎さんがこういう劇的なライブを行った。2つの終わりと1つの始まりっていう原稿を、僕は『噂の真相』に書いた覚えがあります。

85年6月1日発売、BOØWY の1stシングル「ホンキー・トンキー・クレイジー」。

BOØWY  / ホンキー・トンキー・クレイジー


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