なぜ日比谷野外音楽堂には自由な気風があるのか? 96年の歴史と未来を野音館長が語る

─菊本さんが野音を運営していく中で、心掛けていることはありますか?

菊本:基本的に、管理者サイドとしては、楽しくライブができて良かったと思って使ってもらいたいんです。安全性とか最低限のものをきちっと守っていただいた上で、来たお客さんにも楽しんでもらえるような形ができればということを大切にしています。



─伝説的なライブが多く生まれてきた場所でもあると思うんですけど、それはどうしてだと思われますか?

菊本:今は東京の中でもキャパの大きい会場がいっぱいあって、ビッグアーティストとか集客力のあるミュージシャンはそういうところを使っているじゃないですか? でもかつては3000人を超えるようなキャパの会場は都内でもほとんどなかったんですよね。まだ野球場もあまりコンサートで使っていない時代だったし、日本武道館だって昭和39年の東京オリンピックの時にできている会場なので。こっちは大正12年だからね(笑)。都内の中でも1番キャパが大きかった会場だったと思うから、必然的にビッグアーティストというか大物がライブを行っていたんだと思います。昭和37(1962)年にはフランク・シナトラなんかも来ていますしね。野外の開放感もあったと思うし、色々な要素が噛み合って必然的に歴史に残るようなエピソードだとか伝説が産まれたんじゃないですかね。1990年代以降ぐらいになってくると、アーティストはどんどん他の会場に移っていって、今は若手ミュージシャンの登竜門みたいな存在になっている。野音には歴史があるし、有名ミュージシャンが踏んだ舞台だから、一度は野音のステージに立ってみたいという憧れ、ストーリーがあって、若手アーティストは今でもそう思っているんじゃないですかね。

─たしかにそうですね。

菊本:ただ、最終的な目標が野音のステージかと言うと、今は違うと思うんですよね。ステップアップの場所だと思う。小さいホールだったり、ライブハウスからスタートして、2000~3000人ぐらい集客できるようになったら、目指すのが野音だと思うんです。ロック系のミュージシャンは特に野音のステージに立って、その後、武道館とか、アリーナとかドームとか、ステップを踏んでいく。その中において野音は絶対外せない会場ではあると思いますね。いろいろなアーティストが野音をステップとして使って、何十年か経てば、デビュー当時の思い出の場所ということで、もう一度野音に戻ってこようとかという人もいるだろうし。30年ぐらい毎年のように必ずやってるエレファントカシマシのようなバンドもいますしね。彼らにしてみれば、野音が聖地になっているわけですよ。エレカシって、実はもう3000人のキャパじゃ入りきれないぐらいの集客力があって。アリーナとかでもやれるのに、そういう想い入れを持ってやってくれているんだと思います。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE