なぜ日比谷野外音楽堂には自由な気風があるのか? 96年の歴史と未来を野音館長が語る

─今の建物は3代目ですけど、初代、2代目、3代目と、ハードの面でも大きく変わってきているんでしょうか。

菊本:初代、2代の建屋の中がどうだったかまで分からないんだけど、実はあまり変ってないと思います。コンサートをやるときは音響も照明も持ち込みですし。そういう意味では、初代と2代と比べて、備えられている設備ってあまり変わっていないかもしれない。PAとかない時代だっただろうし、初代なんかはマイクがあったのかも分からない。もしかしたら、マイクとかスピーカーとかもない時代だったかもしれないですしね。

─本当に場所があって、どう使うかってところから始まったのかもしれないんですね。

菊本:先日、NHKの大河ドラマの『いだてん』に、昭和10年代のロサンゼルス・オリンピックで日本の水泳陣が活躍をしたシーンがあったんですけど、メダルをいっぱい獲って帰国をして、その報告会を野音でやっていたシーンがあって。映像を見るまで私も知らなかったんですよね。こんなことがあったなんて。さすがNHKだから、実際に野音でやっている報告会の映像を持っていて、それが映って。「日比谷公園の野外音楽堂において、帰国の凱旋報告会を行いました」ってナレーションも出ていて。日比谷公園ってここだよな……? って(笑)。



─野音館長である菊本さんもテレビで観て知るというまさかの事態だったんですね(笑)。100周年のときはそういう映像とかも、提供してもらえるといいですよね。

菊本:そうそう。今度NHKに訊いてみようかと思って。日比谷公会堂の方の資料は全部残っているんだけど、野音は残っていなくて。

─90周年のパンフレットには載っていない歴史が、まだいろいろあるでしょうしね。

菊本:先程も言ったけれども、昭和37年にフランク・シナトラが初来日したときも野音でコンサートをしたんですけど、その時来ていた写真家の方が当時の写真を送ってくれたんですよ。今年の12月にはCSでフランク・シナトラがその時に野音でやったコンサートの模様を映像で放送するんだって。それも知らなくて(笑)。逆に我々管理者が資料も情報も持っていないんだよね。情けない話なんだけどもね。

─100周年のタイミングが、1つのきっかけになっていろいろ資料が集まっていくといいですね。

菊本:100周年に向けて、まさにそういう動きがあるといいなと思っています。いずれにしても大きな節目の年なので、過去100年の歴史についてもう一度きちっと整理をして、野音の歴史をみなさんにお伝えしていきたいと思っています。100年という節目の記念の事業もやりたいですね。次の100年に向けての新しい方針も見出して、ソフトとハードとをリンクさせて、いい感じにしていければと思います。温故知新という言葉があるでしょ? 故きを温ねて新しきを知る。まさに100年間の過去の歴史を振り返って、それを踏まえた上で次の100年はどうしますか? ということを考えていくすごく大事なタイミングだと思うんですよね。都会の中でこれだけの野外施設は他にないから、野外音楽堂の次の100年へと継承してもらいたいですね。

日比谷野外音楽堂 HP
http://hibiya-kokaido.com/

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