アメフト史に残る「100年前の伝説の試合」は本当にあったのか?

語り継がれる伝説とさらなる起源の可能性

嘘は数十年が経った今でも語り継がれている。

Wikipediaのナショナル・フットボール・リーグ(NFL)の歴史についてのページを見ると、感謝祭関連にこの試合のことが一番に書いてあることがわかる。タイガースのWikipediaのページにも記載されている(どちらも都市伝説であることは明記されているが)。この嘘を次世代に語り継ぐ記事も多く存在するし、さらにはアリゾナ・カージナルス――ラシーン/シカゴ/セントルイス/フェニックス・カージナルスの後身――のプロフットボール殿堂にあるチームの歴史についてのページにまでこの「敗者が街を去る」決闘の話が、本当の史実に織り交ぜて紹介されている。

「思い返しているということが重要だと思います」とホリガン氏は伝説の成り立ちについて語る。「2つのチームが戦い、片方が勝ち、もう片方が翌年にはいなかった。そこから始まったのだと思います。「2足す2は3」の数式のような。」

このでっち上げられた小話の起源には第3の可能性もある:ディケーター・ステイリーズだ。

このチームは180マイル(約290キロ)南にあるディケーターに本社を構える食品用でんぷんを製造会社のA.E.ステイリーが、そのエリアのプロチーム相手に戦うセミプロチームを結成してできた。1920年春、オーガスタス・ステイリーは若きジョージ・ハラスを新しくできたリーグに参加するため、チームの新しい選手兼コーチとして雇った。ステイリーズは初のシーズンを2位で終え、リーグにその名を轟かせた。


Courtesy of Pro Football Hall of Fame

シカゴが狙い目だと知っていたハラスは移ることがチームにとってベストだとステイリーを説得した(折れてしまったステイリーはハラスにチームを譲渡しただけでなく、初期費用に5000ドルも渡し、条件も「ステイリーズ」という名を1シーズンだけ残すというものだった)。カージナルスはホームグラウンドがすでにあり、その後コミスキー・パークに移った。一方タイガースはカブス・パークでプレイしていたが、費用を払いきれなくなってしまった。

Translated by Mika Uchibori

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