アメフト史に残る「100年前の伝説の試合」は本当にあったのか?

都市伝説の起源はどこに?

ではなぜ実際にはなかった試合について書くのか? それは都市伝説が語られるようになった経緯を知ることの方が都市伝説そのものよりも面白いからだ。誰も――史学者たちでさえ――どこからこの言い伝えが生まれたのか確実には知らないようだ。クリッペン氏は、競り合っているチームの試合の宣伝をしている中でこの話が生まれたのではないか、という説を挙げている。

秋のスポーツは大学フットボールがメインだったこの頃、APFAのメディアへの露出は少なかった。試合の記録は新聞に掲載された得点をまとめたものぐらいで、11月8日のシカゴ・トリビューン紙に掲載された2回目の試合についての記事も、15ページに著者名の記載すらない合計217語の短いものが載っただけだった。だからカージナルスのオーナー、クリス・オブライエンがタイガースのオーナー、グィル・ファルコンに全てをかけた決闘を挑んだという話がたとえ嘘でも、文句を言う人もいなければ、そもそも気にかける人すらいなかったのだ。

他にも説がある――そしてより信憑性もありそうだ。クリッペン氏が言ったように、タイガースは倒産が見えていたから、翌年1921年のシーズンに出ないことへの口実が必要だった。

「両チームの行く末は1920年の時点で明らかでした」とプロフットボール殿堂の副会長でフットボール史の第一人者でもあるジョー・ホリガン氏は言う。「なのであの試合のときにも「この街で続けていけるのは1チームしかいないな」などと言っている人はいたと思いますが、実際には片方が勝ってもう片方が負けて、どちらかは生き残れないとすぐ推測してしまっただけだと思います。タイガースは倒産目前でしたしね」

Translated by Mika Uchibori

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