UNDERCOVER主宰の高橋盾が「2019-20 AWコレクション」の音楽担当に抜擢し、トム・ヨークが彼の楽曲を自身のプレイリストにチョイス。東京のアンダーグラウンドなクラブカルチャーに基盤を置きながら、昨今華やかなトピックを提供しているのがDJ/プロデューサーのMars89だ。
今年30歳を迎える彼は、DJとして10年以上活動。楽曲制作をはじめたのは3年前からとのことだが、UKブリストルのレーベルBokeh Versionsを中心に発表してきたトラックは、インダストリアルな刺々しい重低音とタビーなグルーヴを備え、特異な存在感を放っている。みずからの音楽性をレベルミュージック(rebel music:権力に反抗する音楽)と定義し、そのアイデンティティを裏切ることなく、SNSなどで政治的/社会的なイシューへの意見を発信し続けるMars89。彼の遊び場所のひとつである幡ヶ谷で行ったインタビューでは、音楽家としての背景や思想を語ってくれている。そこには、ダンス・ミュージックへの曇りなき信頼があった。
どこでもホームだし、どこもホームじゃない
―Mars89さんがDJでかけているような、いわゆるエレクトロニック・ミュージックに没頭していった経緯から教えてください。
Mars89:いちばん最初はフレンチ・エレクトロですかね。当時、高校生だったんですけど、ダフト・パンクがツアーで神戸にも来ていました。遊びには行けなかったんですが、街がそういうムードで盛り上がってた気がします。『Kitsune Maison』シリーズに収録されていたバンドにはダンス・ミュージックとバンドサウンドの間をいくようなサウンドも多かったし、そういうところから聴きはじめた感じですね。あの頃って80’sのニューウェーブ・リバイバルの空気もあったじゃないですか? 小さい頃に母親の持っていたデペッシュ・モードやデュラン・デュランにハマっていたこともあって、入りやすかったんだと思います。DJをはじめたのは、その少しあとで、DJムジャヴァがワープから「Township Funk」を出したくらいのタイミング。あの曲にはすごくハマりました。
―2009年ですね。当時はディプロやM.I.A.の台頭もあり、マージナルなビートが世界的に注目を集めはじめたタイミングでした。
Mars89:同時期に登場したフライング・ロータスもすごく好きでした。あとはブリアルやマッシヴ・アタック……そのあたりはずっと聴いていますね。
―やっぱりブリストル的と言われる、ダークでダビーなサウンドが軸にあるんですね。
Mars89:はい。気が付けばUKのサウンドがいつも近くにあります。あとザ・バグの『London Zoo』(2008年)も大きいですね。そこからダブステップを聴くようになりました。スクリームやキャスパ、デジタル・ミスティックスとかが盛り上がっていて……ダブステップは結構大きいです。当時中高音域に音数の多いEDMの前身のようなハウスがどこのクラブでも流れてたってのもあって、音数が少なく重心の低いダブステップとの出会いは衝撃的でした。当時初めてBack To Chillに遊びに行って、圧倒的なパワーを持った低音に痺れたのを覚えています。
―Mars89さんの作る楽曲にもダブやレゲエの要素は色濃く入っていますよね。そうしたサウンドもダブステップ経由でアクセスしていった?
Mars89:基本的にUKサウンドが主軸ではあったんですが、中学生のときにショーン・ポールの「Get Busy」とかが流行って、その流れでディワリのミックステープも聴いていました。なので、US流れのダンスホールにも接していましたね。
―もともと自分に土壌はあったと。DJは常にテクノやベースミュージックなどエレクトロニックなものがセット選曲の中心なんですか?
Mars89:アフロ・ビートやヒップホップの元ネタのファンクを掘っていた時期もあるし、ずっと電子音楽……というわけではないですね。自分が影響を受けたDJの1人にクートマーみたいな何でもかける人がいたんで。
―Low End TheoryのDJですよね。では、DJとしても特定のシーンにずっといたという感じではない?
Mars89:まぁどこでもホームだし、どこもホームじゃないというか。どっかのコミュニティに属したことはないですね。ぜんぶ半分って感じ。親しくしてくれている年上の人にはヒップホップの人もいるし、テクノの人もいればノイズやエクスペリメンタルの人もいます。自分はいろいろなところに出没しているっぽいです。