―ミュージシャンとしての中川さんで言うと、今年4月に10年ぶりにLAでライブを行いましたが、10年ぶりの海外ライブはどうでしたか?
中川:人生観がまた塗り変わるようなすごい体験だったなと、LAのことを思うと感じますね。この10年っていろんなことがあって、うれしいことも叶った夢も悲しかったこともあったけど、こうやって海外に行けたりいろんな人と出会ったり、初めましての人とも笑顔でつながることができるのもアニメソングがあるおかげ。例えば「空色デイズ」(07年)はたくさん歌ってきて、歌う度にすごく発見があるんですけど、10年前と比べて海外の様子も変わってきて、今では歌ったらペンライトを振る文化も浸透していて。それだけじゃなくて日本では「空色デイズ」の“走り出した”のところで人差し指を天に掲げるんですけど、それだけじゃ足りなかったみたいで、アメリカの皆さんはオレンジに光らせたライトを頭上でぐるぐる激しく回転させて、「なんじゃこりゃ!?」ってすごいエネルギーで盛り上がってくださってめちゃくちゃうれしかったですね。気がつけば、全部カタコト英語でMCをして「10年ぶりに帰ってきました! 絶対にまた会いに来るね!」と言えたのは本当にうれしかったです。
十年一昔というけど、あっという間のような、でもやっぱり懐かしいっていう気持ちもいっぱいあって、すごくすごくライブできることはうれしいし楽しいし、止めないで続けてきて良かったって思いました。11月にニューヨークに行くのも初めてなのでどうなるのか怖いんですけど、影山ヒロノブさんや大好きなお友達のモーニング娘。’18の飯窪春菜ちゃんも同じ日に出るということもあって、これまた人生史に残る日になる気がしています。
―アニメコンテンツとかさっきのペンライトの話もそうですけど、中川さんが想像していた以上にそういうカルチャーは海外の人に浸透している実感はありますか?
中川:10年前は、アメリカに行っても私のことなんて誰も知らないって思ってたんですけど、もともとアニメ文化自体がすごくオープンで、コスプレの作り方もとてもフリーダム。10年前で面白かったのが、Wiiリモコンのコスプレをしている人とか、(ONE PIECEの)ゴーイングメリー号そのものになっている人とか、規模が大きくて何でも楽しく受け取っている印象で。10年前の日本は、アニメ文化っていうところで境界線がまだあった頃だったと思うんですけど、こんなにオープンで楽しい世界として捉えるってすごくポジティヴで最高だなって。
あれから10年経って今ではもはやアニメとかゲームのワードがトレンド1位になっているのが当たり前になってすごくハッピーですし、大先輩たちが切り開いてきた海外で日本語のまま大合唱するっていうハッピーな現象も馴染んで、日本からしてもアメリカからしても世界からしても、こういうポップなカルチャーがハッピーでつないでくれるのは肌に馴染んだ感じがありますよね。歌は時や国境を越えてさらに輝いていくものだと思うので、「blue moon」も生まれたてですけど、いくつになっても歌える曲だと思うので、行ったことのない海外にも行きたいですね。