故ドロレス・オリオーダン「音楽に救われた」46年の生涯

1995年、ベルギーの音楽フェスでステージに立つドロレス(Photo by Gie Knaeps/Getty Images)



1971年生まれのオリオーダンはアイルランドのリマリックの近くで、7人兄弟姉妹の末っ子として育った。子供の頃の彼女は父親に憧れていた。農場労働者だった父はバイク事故で負った傷が原因で働けなくなり、それが彼女の幼少時代に暗い影を落としてもいた。時期は不明だが、姉が火の不始末で自宅を全焼させたこともあった。また、のちにドロレス自身が明かしたところによると、彼女は年上の男に性的ないたずらをされたこともあったらしい。1995年のローリングストーン誌のインタビューで彼女は「子どもの頃の秘密がたくさんあるの」と語っていた。

彼女には音楽が現実逃避の場となった。小学校に上がると彼女の声は群を抜いて目立つようになる。「私が歌い出すと、クラスメートが一斉に話をやめて聴いていたわ」とオリオーダンはローリングストーン誌に語っていた。1990年、地元のバンドのクランベリー・ソウ・アスと出会い、脱退間近のヴォーカルの後釜となった。そしてバンド名をクランベリーズに変えた。「ドロレスがやってきて、自作の曲を2〜3曲歌ったんだ」とホーガン。「リマリック出身の小柄な子の声が驚異的で、俺たちは心底驚いたよ。彼女がどのバンドにも入っていなかったのは奇跡だった」

最初、オリオーダンは内気なパフォーマーで、観客に背を向けて歌うことすらあった。「大きな動きはゼロだったよ」とホーガンが続けた。「でも、それが観客の心に響いたんだよ」。まだ駆け出しの新人バンドにもかかわらず、クランベリーズはメジャーレーベルによる90年代オルタナティヴ・ロックの新人バンド争奪戦に巻き込まれて行く。1993年のデビュー・アルバム『ドリームス』(原題:Everybody Else Is Doing, So Why Can’t We?)は、揺らめくギターとオリオーダンの芳醇さの中に不気味さを抱えた独特な声の相乗効果が発揮されて、「リンガー」や「ドリームス」という大ヒット曲を生み出した。このアルバムと1994年の2枚目『ノー・ニード・トゥ・アーギュ』は合計で数百万枚を売り上げ、MTVのアンプラグドまで撮影するに至った。

元マネージャーのアレン・コヴァックによると、オリオーダンはバンドを際立たせる目的で、緊迫した政治的メッセージを込めた曲を意図的に書いたという。1994年のクランベリーズ最大のヒット曲「ゾンビ」がそれだ。1993年のIRA(アイルランド共和国軍)のイギリス爆撃によって殺害された二人の子供たちを歌ったものである。アイランド・レコードはこの曲をシングルでリリースしないようにバンドに頼んだとコヴァックが言う(彼の話によると、他の曲の準備金としてレコード会社がオリオーダンに渡した100万ドルの小切手を彼女はビリビリに破ったらしい)。「ドロレスはとても小柄で傷つきやすい人だったが、自説を曲げない頑固さもあった」とコヴァック。「彼女は“自分は世界的なアーティスト”と信じていた。そして世界中でブレークしたいと思っていて、「ゾンビ」は世界に向けての第一歩だった。『愛している、愛されている』以上の意味を持つ歌詞を書く必要性を感じて、当時のアイルランドの実情を書いていたね」





Translated by Miki Nakayama

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