音楽史上最高のプログレ・ロック・アルバム50選

By Jon Dolan, Dan Epstein, Reed Fischer, Richard Gehr, Brandon Geist, Kory Grow, Will Hermes, Ryan Reed
Photo by Chris Walter/WireImage/Getty
クリムゾン・キングの宮殿からコーマトリアムまで


半世紀近い歴史があるプログレッシヴ・ロックは、最も独特で並外れた奇抜なロックのアイデアが誕生しやすい環境だった。例えば、バカげたコンセプト・アルバムやシンセサイザーの早期採用、過度に複雑な拍子記号、トールキンふうのファンタジー、未来に対する苦悩そして記憶のなかのイメージなどの発想はプログレから生み出されたものである。

2015年にラッシュが初めてローリングストーン誌の巻頭記事を飾ったお祝いとして、パンクが抹殺に失敗したこの愉快でデカダントなジャンルの最高傑作を紹介しよう。


50. ハッピー・ザ・マン『ハッピー・ザ・マン』(1977年)


ジェームズ・マディソン大学の寮で結成され、ワシントンDCを拠点に活動していたハッピー・ザ・マンは、1970年代に神聖視された、ほぼインストゥルメンタルのプログレ・アルバムを3枚制作した。サックスが駆り立てるジャズ・フュージョンの狂気(ザッパの『ワン・サイズ・フィッツ・オール』のよう)とシンセサイザー主体の瞑想的な緊張感が上手く交わり魅惑的な雰囲気を作り出している。ショーケース・ライヴの後、クライヴ・デイヴィスが「わあ、この音楽はよくわからない。私の理解を超えているようだ」とバンドに言ったらしいが、それでも彼はバンドとアリスタ・レコードの契約を結んだ。彼らのデビュー作はバンドの最もダイナミックな瞬間を示し、曲のタイトル(「スタンピー・ミーツ・ザ・ファイアクラッカー・イン・ステンシル・フォレスト」や「ニー・ビトゥン・ニンフス・イン・リンボ」)と同じくらい斬新な楽器の複雑な相互作用が強調されたものだった。by R.R.


49. ルインズ『ハイドロマストグロニンゲム』(1995年)


プログレッシヴ・ロックの宇宙の果てで輝くこの日本発のドラムとベースのデュオは、意味不明な叫び声と悪魔のようなグロウルに合わせた奇妙な韻律とリズムの調和しない爆音を正確に奏でることができる。ルインズの5枚目のアルバムは特に魅惑的であり、ヴォーカルのメロディやドローン・ドゥーム・メタル、パンクのテンポ、こだわり抜いたクリムゾンふうのプログレの断片を急速に変形し続ける彼らの曲に組み込んでいる。ルインズの首謀者である吉田達也に最も強い影響を与えたのは、マグマのクリスチャン・ヴァンデだ。吉田もヴァンデのようにバンドのために独自の言語を作りさえした。一方で実験マニアのフランク・ザッパやアヴァン・ジャズで人に恐怖を与えるジョン・ゾーン(彼のレーベルTzadik(ツァディク)からアルバムをリリースした)を模したような跡も見てとれる。『ハイドロマストグロニンゲム』を聴くに堪えないものだと評価した人もいるし、このアルバムはキング・クリムゾンやイエスのファンを間違いなく挑発させただろう。しかし、そうしたことがルインズが誰よりもプログレらしい性質を持つゆえんなのだ。by J.W.

48. FM『ブラック・ノイズ』(1977年)


ラッシュはさておき、カナダはプログレが繁栄するのに適した環境ではなかった。このジャンルの発案者の多くが姿を消していくなか、トロントを拠点に活動するFMは1977年にデビュー・アルバムをリリースした。一見すると、このバンドはそういったカナダの状況に逆らう動きをたくさんしてきように感じられる。今でも『ブラック・ノイズ』はプログレ時代後期における最も独創的なアルバムのひとつであり、シンフォニックなシンセサイザーの印象と輝くようなニューウェーブのメロディが催眠術のように混ざり合い、さらに外科用包帯で顔全体を覆い隠してステージに立つナッシュ・ザ・スラッシュことジェフ・プリューマンによって電子マンドリンとヴァイオリンを交互に使用する珍しい手法が取られた。オープニング曲の「フェイサーズ・オン・スタン」はフロントマンでベーシスト兼キーボード奏者のキャメロン・ホーキンスによるクセになるようなサビのおかげで、AMラジオでマイナー・ヒットとなったが、FMが自分たちのデビュー作の深い宇宙の魔法に触れることはなかった。「このアルバムには時代を超えたクオリティがある」とホーキンスは2014年、ミュージック・エキスプレス誌に語った。by R.R.


47. クラック・ザ・スカイ『クラック・ザ・スカイ』(1975年)


アメリカのロック・バンドはプログレへの熱意がないと思われており、限界を押し広げるようなバンドはたいていビジネス・チャンスを掴み損ねた。その最たる例が、ウェスト・ヴァージニアの生意気な連中クラック・ザ・スカイだ。彼らは変幻自在なデビュー作で完全な傑作を作り上げた。シンガーでリーダーのジョン・パルンボに率いられ、バンドは重いハードロックのリフ(「ホールド・オン」)やトゲのあるアート・ポップ(「サーフ・シティ」)、フュージョン・ファンク(「シーズ・ア・ダンサー」での素晴らしいブレイクダウン)、長編のバラッド詩(「シー・エピック」)などを上手く使いこなした。ローリングストーン誌が「スティーリー・ダンや10cc、ザ・チューブスのデビュー・アルバムのように、クラック・ザ・スカイのデビューも、独創的でユーモアに富み洗練された70年代半ばのアンニュイなヴィジョンがあることを披露するものだった…」と大絶賛するレヴューを掲載したにもかかわらず、彼らが得たのは一部地域の熱心なファンだけだった。だが、そんなファンに支えられてクラック・ザ・スカイは音楽を続けることができたのだ。2012年には15枚目のアルバム『オーストリッチ』がリリースされた。by R.R.


46. カルメン『ファンダンゴ・イン・スペース』(1973年)


フラメンコ調のプログレッシヴ・ロックは、1973年当時でもかなりバカげたアイデアだった。しかしロンドン中心に活動を行うカルメンは、ロサンゼルス出身のシンガー兼ギタリストのデヴィッド・アレン(妹でキーボード担当のアンジェラ・アレンが補佐していた)のヴィジョンを追求し、そんな革新的な融合をデビュー・アルバムでやってのけた。(本作はデヴィッド・ボウイの共同制作者トニー・ヴィスコンティによりプロデュースされ)音楽がメロトロンやロックのリズム、サパテアード(アンダルシア地方の伝統的な音楽・ダンス)の脚さばきを精神異常者の世界観に溶け込ませるなか、フロントマンが魅力的な甲高い声で闘牛やジプシーの物語を歌った。しかし、そう長くは続かなかった。ほかに2枚のアルバムをリリースした(さらにサンタナやジェスロ・タルのオープニング・アクトを務めた)後、カルメンは1975年に解散した。『ファンダンゴ・イン・スペース』は世間から忘れ去られていったにもかかわらず、新しい世代のミュージシャンの心を動かしていた。オーペスのフロントマン、ミカエル・オーカーフェルトは2012年のメタル・ハマー誌で次のように述べた。「これは素晴らしい。フラメンコ調のプログレ・ロック・フォークのクレイジーなアルバムなんだ!この作品にはタップダンスとカスタネットが使われている。俺がこの曲を聴かせた人は皆、驚いてぶっ飛んだよ」。by R.R.
Translation by Deluca Shizuka

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