松山猛が語る加藤和彦、ザ・フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンド

帰って来たヨッパライ / ザ・フォーク・クルセダーズ

田家:これがラジオ関西で流されて話題になって、聞きつけたニッポン放送の方、パシフィック音楽出版の方が行かれてプロデビューになっているわけですもんね。

松山:300枚出てたんだけど、北山くんが想像していたより誰も買ってくれなくて。彼は親父に借金したものだからラジオ局とか訪ねて歩いてお願いをして。その中のラジオ関西の女性のディレクターの方が。

田家:はい、高梨ディレクター。

松山:おもしろがってくれて、どんどんかけてくれるようになった。

田家:映画にはラジオ関西の高梨さんという方がお出になっていたので、あ、こういう女性なのかと思いましたけどね。お名前は存じ上げていましたけども。

松山:僕は会ったことなかったんです。

田家:あ、そうなんですか。この「帰って来たヨッパライ」はそもそもが松山さんのお宅のおこたでできたという話がありましたよね(笑)。

松山:京都の町家でね、僕ら台所っていうリビングルームですね。そこにこたつがあって、加藤と僕に自分たちの歌作ったら?って言ってくれたのは、加藤さんの最初の奥さんの福井ミカちゃんだったんですね。最初はトーキング・ブルース風のゆるいナンバーだったんです。最初作っていたときはね。それが彼らの練習場所で北山が入ってきて、やっているうちにどんどんおもしろいものになっていって僕は途中経過を知らないからレコードになって聴いてびっくりした(笑)。僕が一番最初にびっくりしたんじゃないですかね。

田家:トーキング・ブルースは2人で歌いながらお作りになったんですか?

松山:歌いながらというか。

田家:詞を書きながら。

松山:そうそう、書いて、加藤がメロディを作ってっていう感じで。

田家:加藤さんに福井ミカさんを紹介したのも松山さん?

松山:逆、逆(笑)。福井ミカが加藤を紹介してくれた。ミカちゃんは京都の郊外、東山の近所に引っ越してきて、ミカの家のすぐそばに僕の当時大親友だった田中くんというのがいて、おもしろい姉妹が引っ越してきたぞとか言って知らないうちに仲間みたいな感じになって。ボーイフレンドができたって言うから、見せろ見せろって福井家に行ったら、福井家のおこたのところに加藤くんが座っていて、横にマーチンのギターがあって、京都でマーチンのギターなんか持ってるやついなかったから、当時。すごいギター持ってるなと思って。

田家:ヨッパライもサディスティック・ミカ・バンドも松山さんがいなかったら、成り立っていなかったかもしれないですね。

松山:最近よく思うのは、加藤くんと北山くんと僕と、他のメンバーもそうなんですけど、福井ミカがいなければ、この化学反応は起きなかったんだよね。それはすごくいい偶然だったなと、つくづく思いますね。

田家:北山さんと加藤さんの家の間に松山さんのお宅があった。

松山:そうですね。

田家:お2人の家がどんな家だったかを想像しながらこの曲をお聴きいただけるとと思います。松山さんが選ばれた今日の3曲目「家をつくるなら」。

家をつくるなら / 加藤和彦・西岡たかし

田家:1971年のソロ・アルバム『スーパー・ガス』の中の曲で1973年にシングルカットされた、CMソングでも使われている息の長い曲ですね。この歌はたぶん初めて聴かれるっていう方が多いでしょうね。

松山:僕も初めてですね。このバージョンは。

田家:映画の中にも出ていましたが、1973年の神田共立講堂でのライブ音源で、加藤和彦さんと西岡たかしさん。こういう音源があったんだなと思いましたが。

松山:びっくりしました(笑)。

田家:ははははは! この家ということで言うと、加藤さんの家ってどういうお宅だったんでしょう。

松山:加藤くん家族が京都で住んでいて僕が訪ねていった家は、お母さんのお父さん。加藤くんの祖父の方が仏師、仏さんを彫ったり、修復したり。

田家:岡倉天心さんの。

松山:そうそうそう。日本美術院のメンバーだった人で三十三間堂の仏像も加藤のおじいちゃんが直していますね。加藤家族は東京とか鎌倉で住んでいた時期が長くて、お父さんの仕事の都合で京都に来ることになったんですよね。

田家:加藤さんご自身のご両親はとてもモダンな方だったという話も。

松山:そうですね。特にお母さんはハヤカワ・ミステリとか大好きでね。僕も加藤家に遊びに行くと、本棚を見ておもしろそうなのを借りて。特にその中で僕がよく読んだのはレイ・ブラッドベリという、すごく影響を受けたというか。そこからインスパイアされて作った歌が何曲もありますね。

田家:そういう加藤さんのおじいさまが仏師だったという話も、あまり知られてないのかなと思ったりもしました。

松山:晩年、50代かな。そういうあれで岡倉天心とかをテーマにしたアルバムを作りたいねって話にはなったんです。そうこうしているうちに彼はこの世から消えてしまって、実現しなかった。

田家:そういう意味ではいろいろな仮定が成り立つでしょうし、もしこうじゃなかったらとか、もしこうだったらというようなこともたくさんある方なんだなと思いながら松山さんが選ばれた4曲目を聴いてみようと思います。

Rolling Stone Japan 編集部

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE