エイフェックス・ツイン最大の問題作『Selected Ambient Works Volume II』はなぜ衝撃的だったのか?

エイフェックス・ツイン

エイフェックス・ツイン(Aphex Twin)『Selected Ambient Works Volume II』の30周年を記念し、追加音源を加えた新装エクスパンデッド・エディションがリリースされた。リチャード・D・ジェイムスが若干22歳で発表したアンビエントの金字塔はなぜ画期的だったのか? 音楽批評家・八木皓平に考察してもらった。



『Selected Ambient Works Volume II (Expanded Edition)』は日本限定3枚組CDボックスセット(写真)、日本語帯付き4枚組LP、輸入盤3枚組CD、輸入盤4枚組LPでリリース。Tシャツ付セットもあり


これまでLP盤のみでしか聴けなかった「#19」、初めてフィジカル・フォーマットでリリースされる「th1 [evnslower]」、今回初めて公式リリースされる「Rhubarb Orc. 19.53 Rev」が追加音源として収録される


エイフェックス・ツインが1994年3月に打ち立てた永遠の金字塔『Selected Ambient Works Volume II』(以下、『SAW Vol.Ⅱ』)を再考するにあたって、このアルバムが制作される以前のアンビエント・ミュージックについて先に振り返っておこう。

ブライアン・イーノは『Ambient 1: Music for Airports』(1978年)で、アンビエント・ミュージックという概念を確立し、彼はその音楽観を「興味深いだけでなく、無視できるものでなければならない」と定義した。ヘッドホンで熟聴することもできれば、BGMとして風景に溶け込むこともできるサウンド。このジャンルの起源にはエリック・サティ『家具の音楽』(1920年)や、ジョン・ケージ『4:33』(1952年)がしばしば挙げられ、前者は家具のように日常を妨げない音楽であり、いわゆるBGM的に音楽が演奏される状態を指し、後者は無音の状態が続き、その間に自分たちの周囲で鳴る様々な音に耳を澄ませるというコンセプトで作られている。つまりアンビエント・ミュージックとは、20世紀の現代音楽で培われてきたボキャブラリーが、イーノの提唱した概念によってひとつの形になったと言うこともできる。起点は『Ambient 1: Music for Airports』ではあるが、そのコンセプト自体は過去に散見されたアイディアの集積だ。



茫漠としたアンビエント・ミュージックはそこから浸透/拡散していき、90年代前半にも静かな影響力を放つことになる。ひとつはハウス/テクノと合流したアンビエント・テクノ。もうひとつは、一般的にはアンビエント・ミュージックとは呼ばれないが、いくつかの類似点を共有しており、似姿といえるようなシューゲイザーだ。

まずはアンビエント・テクノの話をしよう。このジャンルの初期の代表作として、一般的には、KLF『Chii Out』(1990年)、ジ・オーブ『Adventures Beyond the Ultraworld』(1991年)、そしてエイフェックス・ツイン『Selected Ambient Works 85–92』(1992年)がしばしば挙げられる。それらの作品が生まれる以前、80年代末のイギリスでは、セカンド・サマー・オブ・ラヴの熱狂が訪れていた。レイヴ・パーティーが流行するなかでアシッド・ハウスが大々的に輸入され、その影響はロック・シーンにも波及していった。

そのなかで、ダンスフロアで踊り続けた心身を休ませる(チルアウト)するために、イーノの作品やピンク・フロイドをはじめとしたプログレッシヴ・ロック、ニューエイジなど、様々な音楽のアンビエント・ミックスの需要が高まっていく。そこからダンス・ミュージックの機能性とは一線を画した、ベッドルームでもリラックスしながら聴けるようなサウンドが求められる風土ができあがっていった。そういった背景から生まれたアンビエント・テクノは、同時期に勃興したIDMがビートの緻密さ/複雑さを追求していたのとは対照的に、上物のアンビエンスや浮遊感によりフォーカスしており、その傾向はそのまま『SAW Vol.Ⅱ』にも当てはまる。




かたやシューゲイザーについては、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『loveless』(1991年)収録の「Soon」について、イーノは「ポップの新たなスタンダード。これまでにヒットした音楽のなかで最も曖昧な音楽だ」と評している。「曖昧な音楽」というのは、空間系エフェクトを多用したギター・サウンドのアンビエンスを指すのだろう。スロウダイヴは代表作の『Souvlaki』(1993年)にイーノを迎えたあと、アンビエント志向を強め、後年のエレクトロニカに多大な影響を与えた『Pygmalion』(1995年)を発表している。

ほかにも、シューゲイザーの始祖とも言われるコクトー・ツインズと、イーノが見出したアンビエント作家、ハロルド・バッドとのコラボ作『The Moon and the Melodies』(1986年)が最近リイシューされたばかりだし、近年のアンビエント・シーンで目覚ましい活動を展開しているカリ・マローンは、活動初期にシューゲイザー・バンドに参加していたという。実際、シューゲイザー特有の空間を埋めるような音響は、アンビエント・ミュージックのなかでも大きな割合を占めるドローンの持続音や、『Ambient 1: Music for Airports』で聞こえるロング・トーンと通じる部分が多く、両ジャンルが共鳴し合ってきたのも頷ける。





『SAW Vol.Ⅱ』がアンビエント・テクノとシューゲイザーが勃興した時代に生まれたという事実は、このアルバムを理解するうえでも重要だ。本作のサウンドは「チルアウト」の内省を深く掘り下げるものであったのと同時に、ノイズのレイヤーや空虚な響きなど、シューゲイザーの音響と重なる部分も少なくない。さらに言えば、ここで聴ける奇妙で、不穏で、かつ美しいメロディもまた、エイフェックス・ツインの資質もさることながら、この時代背景が生んだものでもあると思う。

イギリスの音楽評論家サイモン・レイノルズは著書『Generation Ecstasy』のなかで、当時のリスナーが覚えた困惑を「抑制されたトーンの、地味にくすんだ音の絵画に距離感を抱かされた」と代弁している。従来のアンビエント・ミュージックにおける居心地のよさとは決定的に異なる不気味な緊張感は、このアルバムの大きな特徴だ。


Photo by Sam Robinsona

『SAW Vol.Ⅱ』の音楽的特徴

もう一つの大きな特徴として挙げられるのは、前作『Selected Ambient Works 85–92』の時点では存在していたビートが、多くの楽曲で存在していないか、目立たなくなっている点だろう。とはいえ、マーク・ウィーデンバウムによる研究本『エイフェックス・ツイン、自分だけのチルアウト・ルーム──セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』でも詳細に記載されているように、ビートは決して不在というわけではない。「#5」ではスロウ・テンポなドラム/パーカッションがビートを刻んでいるし、「#9」でもベースラインとビートが硬直したグルーヴを響かせており、ミニマル・ダブの趣がある。「#15」はインダストリアルでダビーなビートが明確に刻まれており、それが楽曲の柱となっているし、「#18」ではパーカッションがトーキング・ドラムを思わせる音色のドラムとともにビートを紡いでいる。



歴史的名盤はしばしば神話化され、細部を誤読(聴)されている様子が散見されるが、『SAW Vol.Ⅱ』はビートを完全に排除しようとしたのではなく、アンビエント・テクノにおける「アンビエント」の部分により注力し、その結果ビートの部分が薄れていったという理解が正確ではないかと思う。ただ、「#3」のようなシンプルなコード/メロディのリフレインによって構築された楽曲を聴けば、「ビートが入っていない」と強調したくなる気持ちもわからなくはない。それほどに本作の収録曲はミニマリスティックな構成で、耳を惹きつけられるアンビエンスと、これぞエイフェックス・ツインと言いたくなるような、ロマンティシズムと寂寥感がないまぜになったメロディがとりわけ印象深い。

『SAW Vol.Ⅱ』のメロディは、多くても3パターン程度の、決して長くはないフレーズがループされる。同年にリリースされたアンビエント・テクノの名盤、グローバル・コミュニケーション『76:14』のプロダクションが緻密に作り込まれていたのに対し、『SAW Vol.Ⅱ』のアレンジは簡素だが、それゆえキャッチーと呼んでも差し支えなさそうなメロディとアンビエンスが際立っている。例えば「#10」でのドローンのレイヤリングが呼び込む不穏なアンビエンスも同様で、「精緻な」作曲性よりも「直感的な」アレンジと捉えたほうがしっくりきそうだ。



音楽評論家の高橋健太郎は「アンビエント・ミュージックがアコースティックからエレクトロへと傾斜していったのは、微細な持続音を使ったアンビエンスの創出には、シンセサイザーがうってつけの楽器だったことが大きいだろう」と指摘しているが(『ミュージック・マガジン』2024年7月号 ブライアン・イーノが提唱したアンビエント・ミュージックという概念を考える)、『SAW Vol.Ⅱ』はエイフェックス・ツイン独自のドローン・サウンドを大いに堪能できる作品でもある。

「#14」も重要な一曲で、細かく振動する電子音のドローンが楽曲の中心となっており、それが背後でゆっくり流れるメロディと溶け合いながら突き進んでゆき、終盤ではグリッチ・ノイズがスパイスとなる。こういったノイジーなエレクトロニクスのドローン的使用は、このあと90年代終盤からゼロ年代にかけて隆盛を誇った、電子音響~エレクトロニカにおいて徹底的に追及されていくことになる。そういう意味で、『SAW Vol.Ⅱ』のドローンは同時代のオヴァルとともに先駆的な音響だったともいえるだろう。

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