中年の危機をロックバンドが克服するには? ガスライト・アンセムがビリー・アイリッシュを歌う理由

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傑作として名高い2枚目のアルバム『The '59 Sound』(2008年)と『American Slang』(2010年)をサイドワンダミーからリリース後、メジャー・レーベルと契約。『Handwritten』(2012年:米3位)、『Get Hurt』(2014年:米4位)を残して惜しまれながら活動を停止したニュージャージーの4人組、ザ・ガスライト・アンセム(The Gaslight Anthem)。同郷の大先輩であるブルース・スプリングスティーンと度々比較されたドラマティックな詞世界、ブルースやトム・ぺティなど王道のアメリカン・ロック的な要素をパンク・ロックのフォーマットに落とし込んだ大らかなサウンドは、2000年代後半の音楽シーンでひと際鮮烈な印象を残した。

ソロ活動に転じたフロントマンのブライアン・ファロンは、初作『Painkillers』(2016年)こそややポップ寄りだったが、作を重ねるごとにフォーク色が強まり、3作目『Local Honey』(2020年)では意外にもトーマス・バートレットを起用。シンガーソングライターとしての個性を確立し、順調に活動を続けているように見えた。その間にも、2018年に『The '59 Sound』の10周年を祝ってガスライト・アンセムが復活、短期間ライブを行なったことがあったが、その時点ではあくまでも期間限定というスタンスで、ブライアンはこのバンドで新曲を作ることについて後ろ向きな態度を示していた。

状況が一変したのは2022年。ガスライト・アンセムとしてニュー・アルバムに取り組んでいることが公表され、ツアーもスタートした。2023年10月にリリースされた通算6作目『History Books』は『The '59 Sound』の情熱を彷彿させる面もあるが、歌詞はますます思慮深いものになり、ブライアンがソロ活動を経てソングライターとして大きく成長したことが感じ取れる。タイトル曲では活動再開を模索している頃、相談に乗ってもらったというブルース・スプリングスティーンとの共演も実現した。

その最新作のスピンオフとなるEP『History Books - Short Stories EP』で、ビリー・アイリッシュの「Ocean Eyes」をカバーしたことも話題。バンドとしての結束力を取り戻して旺盛に活動するガスライト・アンセムの現在について、ブライアンにたっぷり語ってもらった。



―活動再開おめでとうございます。いつ頃、どのようなきっかけでソロ活動を一旦止めて、ガスライト・アンセムを本格的に復活させようと思い立ったのか教えてもらえますか?

ブライアン:一連のコロナ禍の後も、俺たちは長い間特に何もせずブラブラしていたんだ。何もせずにただ考える時間だけたっぷりあったのは久しぶりというか、もしかしたらキャリアが始まって以来だったかもしれない。その時考えていたことのひとつが、4人の友人同士がガレージか地下室か何かに入って、世界中の人々に好かれるバンドを作ることは、ものすごく、ものすごく難しいことなんだってこと。そしてとてもラッキーで幸せなことでもある。そういうことを考えているうちに、自分は音楽もショウも失ってしまったけど、もしもう一度ショウをやる機会を与えられたら、絶対またみんなに連絡して、もう一度バンドをやらないかと訊いてみようと思ったんだ。やらないなんてあまりに愚かだと思ったからね。



―あなたがトーマス・バートレットをはじめとする優秀なミュージシャンたちを起用して『Local Honey』のような成熟したソロアルバムを作るのは、ごく自然な流れだと思っていました。きっとこれからも「When You're Ready」のように、父親になった40代男性の視点で、“良い曲”を書き続けていくんだろうと思っていたのですが。ああいう路線は「しばらくお休み」という感じですか?

ブライアン:そうだね。もうひとつ考えていたことがあって…俺がソロ・バンドでやってきたことの多くは……ほら、ガスライト・アンセムも昔から「Here’s Looking At You, Kid」とか「National Anthem」みたいなスローめの曲をやってきただろう? それを思い出して、静か目のアルバムを作るなら、完全に独りでやるよりもバンドの中でできないか?と思うようになったんだ。それでパール・ジャムやニール・ヤングのことをよく考えるようになった。パール・ジャムがアコースティック・アルバムを作ったり、ニール・ヤングとアルバムを作ったりしたときのことをね。バンドをやっていると、人はバンドにラウドでエネルギッシュなものを求めるものなんだ。バンドをやっていて苦しいのはそこだよ!(笑)。40代になると、「Oh my god、俺はもうクールじゃなくなるのか?」なんて思ってしまう。「クールじゃなかったらどうしよう?」なんて思って、少しビビってしまうんだ。それで、他の人たちを探さないといけなかった。43歳の子持ちの男として、誰を尊敬すればいい? 俺に合う年代の人たちは誰だ?と思ってね。そうしてエディ・ヴェダー、デイヴ・グロール、クリス・コーネルに辿り着いたんだ。彼らはみんな陳腐にならずにバンドを続けて、しかも大成功している。勿論ブルース・スプリングスティーンもね。彼らがバンドを続けているのを見て、すごく励まされたよ。俺にもきっとやれるはずだとね。

日本じゃどうかわからないけど、アメリカでは暗黙の了解みたいなものがあって、ロックンロール界では35歳を過ぎたら男も女も死んでいるんだ。何の価値もないと見なされる。だけどそれは真実じゃない。とはいえ、自分が当事者だとなかなか堪えることなんだ。俺も、「もうロックをやるには歳を取りすぎているのか? どうしよう!?」なんて思ったよ。だけど年上の友人たちに相談すると…ブルースにもジョン・ボン・ジョヴィにも、グー・グー・ドールズのジョン・レズニックにも相談したんだけど、「何を言っているんだ? お前は俺たちよりずっと年下じゃないか」と一蹴されたよ。でも俺としては、もしかしたら俺は古代の生き物なのかもしれない、なんて思っている訳だ(笑)。

―まあ、当事者だと自分がまだ若いなんて気づきませんよね。

ブライアン:まったくその通りだよ(苦笑)。パール・ジャムやフー・ファイターズみたいな存在がいるのはとても心強かったね。「よし、俺もまだクールでいられるはずだ」と思えるから。ドクター・ドレーみたいな人も大ベテランだけど、今でもクールなことをやっている。俺より15歳は年上なのにさ。そんな存在に助けられたよ。

―迷いの時期から抜け出せて良かったです。今はバンドのことも別の角度から見直せるようになったのではないでしょうか。2018年の英インディペンデント紙とのインタビューで、ガスライト・アンセムが残したアルバムについて、あなたが「リプレイスメンツに似ていた」と突き放すような言い方をしているのを読んで、なんて自己採点が厳しい人だろうと驚きました。あれだけ優れた作品を残してもそんな風に感じるのは、ちょっと潔癖症的では?と正直思ったんですが。その頃と比べると、「中年ならではの不安感」を超えた今はバンドのことをポジティブに見直せるようになったんでしょうか。

ブライアン:もちろん! その頃考えていたことのひとつがそういうことだったんだ。リプレイスメンツとポール・ウェスターバーグは俺にものすごく大きな影響を与えたからね。ものすごく大きかった。12歳の頃にリプレイスメンツを聴いていなかったら、曲を書くようになっていたかわからない。

面白い話で、彼らが再結成したとき俺たちは前座を務めたんだ。ヘッドライナーはパール・ジャムだった。ガスライト・アンセム、リプレイスメンツ、パール・ジャムの揃い踏み。その時リプレイスメンツを観ることができて、「うわぁ、リプレイスメンツが新曲を書いたら、すごいニュー・アルバムができるんじゃないか?」と思った。でも彼らはやらずじまいだった。だから、そんなものなんだと思っていたんだ。「そうか、俺たちが2018年にしたように何回かショウをやっても、新曲は出さない方がいいんだな」と。でも、ちょっと待てよ?と思った。イギー・ポップは今でも新曲を出している。今でも現役で、しかも重要な存在であり続けている人はたくさんいるんだ。彼らは言いたいことがあるから活動を続けている。若手のバンドを下げている訳じゃないよ。ビリー・アイリッシュ、フローレンス・アンド・ザ・マシーン、ポスト・マローン、ジェリー・ロール……俺は彼らが本当に大好きなんだ。特にうちの子供たちに与えているインスピレーションは素晴らしい。

でも俺の役割は彼らとは違う。それはちょっとロックの生き字引的な存在になることなんだ。ロックを活かし続けていかなければいけない。フー・ファイターズが「もうやり切った」と言ったら、誰もいなくなってしまう。次は俺たちが何とかしないと(笑)。まだなれてはいないけど、目指してはいるよ。いつかはその境地に辿り着くはずだ。

―ガスライト・アンセムはもともと“This Charming Man”というバンドが母体でしたよね。あなたも若い頃はザ・スミスの大ファンだったと聞いたことがあります。それと同時に、トム・ウェイツやブルース・スプリングスティーンの作品にも耳を傾け、フガジやニルヴァーナ、ホット・ウォーター・ミュージックなどにも影響される……という独特な組み合わせが、あなたの作品に詩的な深さをもたらしたのではないでしょうか。同世代のUSパンクで似たようなミックスをしたバンドはほとんど思い当たりません。

ブライアン:本当にありがとう! オフクロが英語の先生だったから、たくさん本を読まされていたんだ。俺は嫌だったんだけど(笑)。子供の頃はパンク・ロックのレコードを色々持っていた。ラモーンズを聴く一方でチャールズ・ディケンズを読んだり、ジェームズ・マンガンみたいなアイルランドの詩人の詩集を読んだりしながら、セックス・ピストルズも聴いていたんだ。そうやって詩や書くこと、音楽にも夢中になっていった。学校の成績は大したことなかったけど、オフクロに「本を読まなくちゃ」といつも言われていたからね。「大人になったら好きなようにやればいいけど、本は読まないといけないし、言葉を知らないとダメ」って。

―その教育のおかげで、そういったミュージシャンの音楽だけでなく、歌詞も掘り下げることができたのかもしれませんね。

ブライアン:そう、その通りだよ! 音楽の何に最初に心を鷲掴みにされたかって、まさにそれだからね。子供の頃は讃美歌とか、教会の音楽をよく聴いていた。あと、いわゆるアメリカンな感じのやつ。そういうものの外側にある音楽の存在に初めて気づいたのは、U2の『The Joshua Tree』を聴いたときだった。「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」を聴いて、自分が身近に感じることのできる歌詞がついた讃美歌みたいな感じがしたんだ。その日のことを今も憶えているよ。オフクロがうちのアパートの前に車を停めて、買って来た食料品を積み出していた。「ママ、あと5分車の中にいさせてくれ。これが聴きたいんだ」って言って、「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」をまるまる1曲聴いて、思いきり吸収したよ。その時初めて、歌詞に惚れ込んだんだ。ちなみに面白い話があって、ちょうど今日ボノのオーディオ・ブックを聴き始めたところなんだ。ボノ本人が朗読していて、すごくクールだよ!(笑)

Translated by Sachiko Yasue

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