JP Saxeが語る来日への想い、ジュリア・マイケルズやジョン・メイヤーとの縁、弱さをさらけ出す理由

JPサックス

ジュリア・マイケルズと共演した「If The World Was Ending」などのヒットで知られるトロント出身のシンガーソングライター、JPサックス(JP Saxe)がビルボードライブで初来日公演を開催する。彼にとって初となるアジア/オーストラリアツアーの一環で、5月27日(月)に東京、28日(火)に大阪で全4公演。昨年9月に発表されたニューアルバム『A Grey Area』を引っ提げてのツアーとなる。昨年からジョン・メイヤーの北米ツアーのオープニングを務め、自身がヘッドライナーの欧米ツアーを行い、ライブ活動に勤しんできた彼が、ツアーの合間を縫ってロサンゼルスの自宅に帰ってきたところをリモートで捕まえた。

※来日公演のチケットプレゼントを実施中、詳細は記事末尾にて。




ーずっと積極的にツアーをされていますよね。ジョン・メイヤーとのツアー、自身のツアー、そして今回の世界ツアー。最新アルバムに対する観客の反応は如何ですか?

JPサックス:ネットでファンと話をしていても、なかなか分からないんだよね。褒められてもつい「お世辞かな?」とか思ってしまうし。でも「あなたの音楽が私の人生の一部です」なんて面と向かって言われるとやはり嬉しいよ。実際に言われると全然違っている。自分のアートを体験しに来てくれるのにも感激するよ。もし東京公演に5人しか観に来てくれなくても、ネット上の5000人の人たちよりも大感激。彼らのリアルな話を聞けるし、目を見て話ができるから。

ー曲を作っている時に「人々がどんなふうに受け止めるのだろう」と考えますか?

JPサックス:いや、それはないな。他人がどう思うのかに無関心なんじゃなくて、自分の経験しか理解できないし、自分の経験でしか曲を作れないと思うから。僕はごく普通の人間で、自分の体験をできる限りアートに反映させることで、他人の体験にも触れることができると思うんだ。人間の体験って、それほどユニークなものではなくて、誰もが似たようなことを感じ、経験している。だから僕の曲がファンにとって特別な意味を持っていたり、心に響くと思うんだ。映画の世界では、随分前からよく言われている。「パーソナルな作品であればあるほど普遍性がある」ってね。そういう監督の言葉を耳にしてきた。音楽も、そう考えられ始めているんじゃないのかな。

ーなるほど。ニューアルバム『A Grey Area』について尋ねたいのですが、まずこのタイトルを選んだ理由から教えてください。

JPサックス:理由は幾つかあって、物事の不確かさについて、曖昧な表現にしたかった。僕はアートのそういうところが大好きなんだ。日常生活では、物事のどちらか一方を選んで、白黒はっきりさせることが求められる。明確な回答が要求されることが多いよね。でも、僕たちの人生の最も美しい部分は、しばしば混乱していたり、「これ」か「それ」じゃなくて、多くが同時に混在する。アートが素晴らしいのは、その混乱を理解したり、整理しようとすることなく、その中に存在し、不確実に生きることを認めてくれるから。僕のアルバムは、いろんな意味で、その混乱、混迷への憧れを表現しているんだ。人間関係についても、必ずしも永遠ではない関係の素晴らしさについて語っている。日本や他国については語れないけれど、北米では永遠の愛が神格化されすぎているように思うんだ。勿論そういう愛が美しくないとは思わないよ。実際、美しいと思っているから。でも、そうでない愛も美しいと思うんだ。僕はこのアルバムで、死で終わらない愛、永遠で終わらない愛、永遠には続かない愛などの意味や有効性を描きたかったんだ。




ーアルバムのジャケット写真では、カラフルな服を着たあなたの写真が使われています。一方、ライブアルバム『A Grey Area (Live Sessions)』のジャケットでは、鏡に映ったグレイのスーツを着たあなた自身と対面している。どのような意図がありますか?

JPサックス:グレイのスーツのジャケット写真は、オリジナルのフィジカル版の裏ジャケに使われていたものなんだ。コロンビアで撮影した写真で、カラフルなスーツを着た僕が床に溶け込んでいて、どこからがアートで、どこからが人間なのかが分からないというのがコンセプト。アートと人物を融合させたかったんだ。その人物が溶けてアートと一体化しているような、混乱というイメージが気に入っていた。で、鏡を覗くと、そこにはほとんど無色の僕の姿があって、グレーのスーツを着ているだけ。アート的ではない自分の姿を現している。つまり表と裏の2つの視点だよね。あのフォトセッションは、とても冒険的かつ創造的だった。スーツのデザイナーやアートディレクターはコロンビアの出身。親友のマシューも撮影に来てくれた。このプロジェクトに関わってくれた多くの人が僕の友人、共同体なんだ。ステージを作ってくれているスタッフもそうだし、人々の細かい拘りや愛情が溢れている。

ーツアーの映像を観ましたが、ステージがまるでリビングルームのようなセットですよね。

JPサックス:そう、アートの世界と、僕の世界に同時に足を踏み入れるような感覚。その両方を味わってもらいたかった。人間同士の繋がりを生み出すツールとしてアートを用いたいんだ。だから僕の家のリビングルームに来て、一緒に話をしながら曲を感じてほしいと思っている。と同時に、アートギャラリーを一緒に見て回っているような感じもほしかった。コミュニケーションだけでは深い人間性を表現できないこともあるから、そのためにもアートが必要なんだ。

ー今回の来日公演でも、バックミュージシャンを率いてステージに立ちますか?

JPサックス:いや、今回は、ひとりでステージに立つ予定。初めて演奏する都市では、ひとりで演奏するようにしている。君と僕との二人きりという感じで。(関係を)始めるには、それが相応しくて美しいと思うんだ。今度また友人たちを連れて戻ってくるよ。

@jpsaxe

ー先ほどコロンビアの話が出ましたが、このアルバムの多くの曲がコロンビアで書かれており、亡くなられたお母様が南アメリカの出身だったからと聞いています。どのような形で音楽から影響が聴こえると思われますか?

JPサックス:母は民族的にはハンガリー人なんだけど、人生の大半をラテンアメリカ、特にペルーで過ごしていた。彼女の第一言語のひとつがスペイン語だったんだ。子どもの頃から話していた。でも僕にはスペイン語を教えてくれなくて、僕はそれが凄く不満でよく文句を言っていた(笑)。スペイン語を話す彼女を見ていると、僕の知る母親とはまったく違っていた。スペイン語を話す時の彼女は楽しそうで、率直さがあったよ。愛する人が亡くなっても、僕たちの関係はそれで終わりじゃないと思っているんだ。人が亡くなっても関係は続くし、僕の場合は、スペイン語を学ぶことで、母との関係を築きたかった。だからコロンビアに数カ月住んで、毎朝スペイン語のレッスンを受けてからスタジオに通った。悲しみを癒しながら、同時に制作していった。新しく言語を学んで曲を書くと、英語の曲を書いても影響があるんだ。とても興味深かったよ。最初に気づいたのが、感情を表す言葉に違いがあること。きっと日本語もそうじゃないかな。日本語にも愛や喜び、怒りを伝える言葉があるよね。だけど日本語で「愛してる」って言うのと、英語で「愛してる」って言うのとでは違っているんじゃないかと思うんだけど、実際はどう?

ー確かに違っていますね。それに普段日本人は「愛してる」と言葉で伝えることがあまりないように思います。お辞儀をしたり、違った形で愛情表現をすることが多いですね。

JPサックス:だよね。そういう言葉や感覚の違いを知るのが大好きなんだ。スペイン語を学んだことで、僕は愛についての英語の表現が変わったように思うんだ。自分の脳が感情を理解するための新しい道を開いたみたいな感じで。

ー例えば、スペイン語を学ばなかったら、こんな風には書かなかっただろう、という歌詞はありますか?

JPサックス:コロンビアで書いた曲のひとつに「Anywhere」というのがあって、シンプルな歌詞で、子どもがスペイン語で話すみたいな感じなんだ。子どもが初めて言葉を覚えるみたいな、そんな感じで。最後のフレーズに「どこに行こうが、どこにも行かない」(No matter where I go /I’m not going anywhere)というのがあって、僕はそのシンプルさが大好きなんだ。違う言語を学んだことで影響を受けたのは確かだと思う。



ー新作では「Moderación」という曲でコロンビア出身のカミーロとコラボされています。去年の夏に彼と会ったのですが、とても面白い話をしてくれました。「計画を立てない、ゴールを決めない、その日の瞬間のフィーリングを大切にしたい」と彼は語って、日本人が教えられてきた生き方とはまるで正反対じゃないかと思えるほどでした(笑)。

JPサックス:カミーロは僕にとって兄弟のような存在なんだ。この世で僕が最も愛する人のひとりだよ。アーティストとしても尊敬している。彼とのコラボレーションは、本当に楽しかった。彼の兄と、彼の妻のエバルナ(歌手で女優のエバルナ・モンタネール)がその曲のミュージックビデオを監督してくれた。彼の兄も僕にとっては家族のような存在なんだ。エバルナとは「If The World Was Ending」のスペイン語バージョンで共演したし、彼女も素晴らしいアーティストだよ。みんなで力を合わせた共同作業だったんだ。君の言ってたカミーロの生き方の話も、凄く頷ける。彼はとっても思慮深くてスピリチュアルな男だよ。自分の生き方やアートについて、とても拘りを持っている。僕も彼のように生きたいし、彼から多くのことを学んだよ。



ージョン・メイヤーについても教えてください。あなたの1stアルバム『Dangerous Levels Of Introspection』(2021年)で共演、2ndアルバムで共作、さらに彼のツアーのオープニングも務めました。2人の絆、そのブロマンスはどこから生まれたのでしょう?

JPサックス:フフッ(笑)、10代の頃からジョンのファンなんだ。僕の世代のシンガー、ソングライターなら大抵みんなジョン・メイヤーから影響を受けている。17歳の時に、彼の「I Don’t Trust Myself (With Loving You)」をカバーした。アルバム『Continuum』が出た時は、毎日のように聴き狂っていた。「自分のヒーローには会うな」とは、よく言われるけれど、その反証じゃないかな。ヒーローがジョン・メイヤーなら、ぜひ会うべきだよ。アーティストとして尊敬するのと同じくらい、いや、それ以上に人として彼を尊敬している。彼のツアーのスタッフは、もう何十年も彼と一緒に仕事をしている。チームなんだ。周囲の人間を彼は本当に大切にする。彼の音楽を愛する人のコミュニティという感じなのを見て、本当に驚かされた。というのも、普段僕たちのようなアーティストは、こうなりたいと思うポジションの人と接する機会があまりないんだ。会社員ならある地位を目指して、2年後になりたい自分、8年後の自分の上司などを目指すことができるよね。でもアーティストというのは、しばしば孤立した人生で、何を目指せばいいのか定型というのが見当たらない。だから去年ジョン・メイヤーと多くの時間を過ごせて、とても有意義だったよ。僕が目指すようなキャリアを築いてきたアーティストのオープニングを30回も務めることができたし。彼は時間を惜しまず、僕にアドバイスもくれた。彼のことを友人と呼べるのは、本当に幸せなことだと感じるよ。10年後に、ジョンのようなキャリアを僕も築けているといいんだけれど。



ーニューアルバム『A Gray Area』は、ジュリア・マイケルズとの破局アルバムという言い方もよくされています。実際にはどうなんでしょう?

JPサックス:そうした状況に対する気持ちを歌った曲もあるのは確かだよ。僕たち作家としての役割は、その状況について書くのではなく、その状況に対する気持ちを書くことだと思っている。うん、そこには大きな違いがあるんだよね。僕たちアーティストが語ることができるのは、自身が感じた体験だけ。だからこのアルバムで心掛けたのは、できる限り真摯に、誠実に、思慮深く語ること。当然ながら、そこにはジュリアとの破局も含まれていたよ。

ー今でもあなたとジュリアが共演した「If The World Was Ending」を聴くと心が震えます。とても特別な曲であり、タイムレスな曲になるというのは、書き終えた直後から感じていましたか?

JPサックス:あの曲のサビは、僕の1stアルバム『Dangerous Love Of Interest』のオープニング曲「4:30 In Toronto」のために書いたものだった。でも感情的な繋がりが今ひとつ感じられなくて、最終的には別のサビに変えたんだ。そして、そのまま“If the world was ending, you’d come over, right?”の方は、1年間ほど僕のメモ帳で眠っていた。ところが、ジュリア・マイケルズという僕が敬愛するソングライターと初めて会って、セッションをするとなったその2日前に、ロサンゼルスで地震が起きたんだ。ジュリアに会った時「地震で思い出したんだけど、こういうのどうかな?」ってサビを歌ったら、彼女も凄く気に入ってくれた。“たとえ将来一緒になる運命でなかったとしても、未来はないのだから、今一緒にいるべきだ。失うものはないのだから”っていうのをね。僕たちはピアノの前に座って、その日のうちにこの曲を書き上げた。初めて会ったその日にね。当初は僕だけでレコーディングするつもりだったけど、2番のメロディがどうにも上手く歌えなくて、彼女が手伝ってくれたんだ。マイクに向かって彼女が歌ってみせてくれた時、それでもう決まりだった。これはデュエットにしなきゃって。今まで参加した曲の中で最も好きな曲のひとつ。この曲には本当に感謝している。




ーとても素敵な話ですね。その後、フィニアスがプロデュースで参加したわけですね。

JPサックス:オリジナルのデモバージョンもSpotifyにアップされているよ。僕とジュリアがピアノだけで歌っている。でも誰にプロデュースしてもらえばいいか分からなくて、探していた。それまでフィニアスには会ったことはなかったけれど、彼の作品の大ファンだったから共通の知人を通して出会って、彼とは繰り返し曲の方向性を話し合ったよ。その後、彼が僕たちが気に入ったバージョンを送ってくれた。それをジョシュ・ガッドウィンがミックスしてくれて。あの曲の制作中には多くのマジックが起こったんだ。

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