ビルボードライブ15年の歴史 スティーリー・ダン、バカラック、井上陽水からMISIAまで

ビルボードライブに出演したバート・バカラック(2012年)

 
これまでに数多くの名ライブが繰り広げられてきたビルボードライブ。いまや日本の音楽シーンにおいて欠かせないヴェニューの歩みを、開業15周年の節目に振り返る。



レジェンドへの徹底した拘り

2007年夏、世界標準のライブレストランとして東京と大阪にオープンしたビルボードライブ。世界トップレベルのシステムによる豊かな音響、上質かつ快適な空間、様々な調理法を熟知したシェフによる料理、選りすぐりのドリンクが、数多くの音楽ファンの愛と信頼を得てきた。そして言うまでもないが、その核となるのが、日本を含む世界の豪華アーティストたちによるライブ・パフォーマンスだ。ジャンルは多様。大きなホールを満杯にできる超一流アーティストのスペシャルなライブも、これまでいくつも行なわれてきた。この場所でのライブが話題を呼び、それをステップとして大きく羽ばたいた新鋭アーティストも数多くいた。

そうして2022年8月に15周年を迎えたビルボートライブは、どのように始まり、どのようにブランド付けをし、どういった方向性でアーティストを招聘して、どのように歴史を積み上げてきたのか。企画・制作部長の長﨑良太氏に話を聞いた。


Billboard Live TOKYOの会場写真

ライブレストランでは、ブルーノート東京のオープンが1988年、コットンクラブが2005年。いずれもジャズを柱としていたが、2007年オープンのビルボードライブは、それとは異なる色付けをする必要があった。

「昔は元気だったジャズ・ジャイアンツと呼ばれるミュージシャンがどんどん亡くなって、ジャズという音楽だけでビジネスするのは難しい時代になった。それで外資のいろんなブランドと一通り交渉して、ようやくビルボードのマスターライセンスを弊社(ビルボードライブを運営する阪神コンテンツリンク)が獲れるってなったのがオープンの数年前でした。当初からR&Bをやったり、サザンソウルをやったり、AORをやったり、フュージョンをやったり。ジャズの括りにとらわれなかったことが、むしろビルボードの強味だったかもしれないですね。得意ジャンルはあるけど、これ!と限定することなく、とにかく“いい音楽”を聴いてもらおうというのを大事にした。流行っているかどうか、売れているかどうかではなく、いい音楽かどうか、かっこいい音楽かどうか。スタートしたときからそこはぶれずに追求してきました」

初めの10年は、特にそのことを意識したブッキングをしていたそうだ。

「何もないところからスタートしたので、国外の一流アーティストを次々に呼んでブランドを作るしかなかった。赤字を出してでも凄い人を呼ぶということをしていました。2012年のバート・バカラックとかね。そういうレジェンドはなんとしてもうちがやるという意識を強く持っていました」

しかしレジェンドであるほど、チケット料金が高額になるという面もある。

「オープンした2007年のジェーン・バーキンが3万円。2015年のローリン・ヒルは4万2千円でした。いや、ローリンは大変でしたよ。開演が(予定の)2時間近く押しましたからね。同年のジョス・ストーンも2万円台だったかな。チケット代は大体ギャランティに比例するもので、その料金に値するだけの価値があるかどうかを見定めるのも我々の仕事。もちろん、それだけの価値があるから呼んでいるわけです」


ミセス・ローリン・ヒル(2015年)


エリカ・バドゥ(2017年)

 
 
 
 

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