ブラック・クロウズが語る再結成の真実、ロックンロールとロビンソン兄弟へのラヴレター

Photo by Ross Halfin

これでもか!!のロックンロール一直線で、痛快にドライヴする。実に15年ぶりとなるスタジオ・レコーディング新作『Happiness Bastards』を発表したブラック・クロウズ(The Black Crowes)。ジョージア州アトランタでクリス&リッチ・ロビンソン兄弟を中心に結成され、89年にデフ・アメリカン(当時)と契約。90年のデビュー作『Shake Your Money Maker』は、オーティス・レディングのカヴァー「Hard to Handle」のスマッシュ・ヒットもありロングセラーとなって、この年の米年間チャートで3位を獲得する大ヒットに。時代遅れだの懐古趣味だの言われることもあったが、平均年齢21歳の新人バンドは、グッド・ロックンロールは90年代でも有効であることを証明して見せた。

2ndからは本インタビューでリッチ自身が語っているように、即興を取り入れた長尺ジャムでグルーヴを操るような曲が増えていくが、それでも元来のロックンロール・マインドを失うことはなく、またジャム・バンドとしての人気も得ることになった。が、度々起きた兄弟の衝突、メンバーの入れ替わりも激しく、2002年に最初の活動停止。05年に再開して、10年にはデビュー20周年アルバムも発表するが、同年末より再び休止。13年に復活するも、15年にはバンドの権利を巡って兄弟が決裂し解散。もうダメかな、と思うこともあったが、この間、クリスもリッチも音楽から離れることはなく、そのことが再結成への望みをつないでいた。

クリスは『Happiness Bastards』を「ロックンロールへのラヴレターだ」と話しているそうだ。ロックンロール一筋に愛を注ぎ、しつこくこだわり、しがみつく。これ、人間ならほとんどストーカーだけど、この愛が報われますようにと願わずにはいられない。それくらいブラック・クロウズのロックンロール愛は無邪気で一途で純なのだ。



─マグパイ・サルート(リッチが組んでいたバンド)の来日公演が2019年1月。あの時あなたは「クリスとは5年以上話していない」と言いました。同年10月にマグパイの『High Water Ⅱ』がリリースされるのに先立ち9月に電話で話を聞き、マグパイの未来像は?と質問したら「どうだろう。未来はどうなるか予測がつかない。何だって起こり得る」と答えています。ほどなく、11月にクロウズ再結成を発表。19年1月から11月までに起きたことを教えていただけますか?

リッチ・ロビンソン(以下リッチ):そうだね。マグパイ・サルートの最後の方は、バンド内で問題が起きていたんだ。マーク・フォード(Gt)の昔の悪習が再発して、彼とジョン(・ホッグ:Vo)を中心にバンド内で不協和音が生じていた。飲酒とドラッグ絡みだよ。それが積もり積もって、とうとう二人は僕に矛先を向けるようになった。バンドの資金面を支え、曲作りも作品のプロデュースも全部僕がやっていたのに、メンバーに責められてまでやる意味があるのかと思い始めた。だからツアーを終えて、「わざわざ険悪な空気に身を置く必要はない」と考えたんだ。その時点で、既にマグパイの2作目は完成していた。元々2枚分を一気に作ったわけだからね。それが発表されることは決まっていたけど、自分がその先どうしたいのかはわからなかった。そこからはちょっとしたことの積み重ねだよ。

覚えているのは、新曲を2〜3曲書いてみた時に「クリスが歌ってくれたら最高だな」と思ったこと。兄弟として彼が恋しかったというのもある。まあ、恋しかったのは仲よくやっていた時の彼で、仲違いしていた時の彼じゃないよ(笑)。それに、曲作りのパートナーとしての彼も恋しかった。で、クリスと共通の友達にさりげなく「ロックンロールの曲ができたんだけど、クリスが歌ってくれたら最高なんだけど」と話した。ほんの軽いノリでね。そしたら彼が「実は、数日前にクリスも全く同じことを言ってたよ」と言ったんだ。

─すごいタイミングですね。

リッチ:そうなんだよ。強いシンクロニシティを感じた。他にも、マグパイの最後のツアーで、シカゴでプレイした同じ日に、クリスもシカゴにいたりして。その数カ月後に僕が家族とニューヨークに行ったら、たまたま同じホテルに彼も泊まっていた。その時に彼とも話をしたし、僕の下の子供たちにも初めて会わせることができた。彼の娘もその時いてね。そういう偶然がいくつも重なったんだ。ニューヨークで話したのをきっかけにもっと話すようになって、その最中に『Shake Your Money Maker』30周年ツアーのオファーが来て、「これ、どう思う?」「せっかくの30周年で、いい話だと思うからやってみるか」ってことになったんだ。

それからもいろんな話をしたよ。険悪な空気を持ち込んだり、何かを企んでいたりするような人はバンドに入れないようにしよう、とかね。これまでクロウズの歴史を通してバンドに関わった人やメンバーの中には、僕とクリスの間に亀裂を生じさせるようなことをする人たちがいたからね。

そして、ツアーをやるなら、お金が目的の1回限りで終わるものにするつもりもなかった。というのも、クロウズが解散してから毎年のようにツアーのオファーは来ていたんだ。でもすべて断ってきた。「今じゃない」と思ったからね。でも6〜7年経ち状況が整って「やってみるか」と思えたんだ。

クリスと僕は、今回初めて自分たちの関係性を一番優先させた。バンドがデビューした頃、僕たちはまだ若造だった。僕なんか20歳だったからね。で、もの凄い短期間で大成功した。ドラゴンの背中に飛び乗って、振り落とされないように必死だった。考える余裕もなかったよ。クリスも僕も、チャンスが目の前に到来したから、それに飛び乗って行き着くところまで勢いに任せるしかない。で、そういう時というのは大抵の場合、誰も自分の人生や生き方について深く考える余裕がない。しかも僕たちの場合、「生き急ぐな」「もっとこうしてみたほうがいい」とたしなめてくれる人もいなかった。ましてや僕なんかその若さだ、誰の言うことにも耳を傾けるわけがないよ。

─確かに(笑)。

リッチ:バンドを組んで、曲を書いて、世に出してみたら、予期していない成功に見舞われた。その波に乗って行けるところまで行こうという過程で、クリスとの関係がないがしろにされてしまった。「バンドが優先されるから、今大事なのはこれだ」とか言われてね。さらにはドラッグやエゴが加わって、悪化していった。だから今回は、プロになってから初めてやり方を変えて、自分たちのサポートに徹してくれるメンバーを入れることにして、以前のようなことにならないように、オープンなコミュニケーションと関係性を何より優先して、後のことはそこから派生するようにした。

─現在の正式メンバーは、あなたとクリスの二人という認識でいいですか?

リッチ:僕とクリスとスヴェン(・パイピーン:Ba)もだ。スヴェンとは、もう40年の付き合いになる(笑)。もともと高校でお互いライバル・バンドにいて、その後18〜19歳の時に実家を出たクリスは、スティーヴ(・ゴーマン:元ブラック・クロウズ)とスヴェンと同居していた。彼とは、97年にクロウズに加入して以降ほぼずっと一緒にプレイしている。今回、スヴェンには是非戻ってきて欲しかったし、彼は自分の役割をきちんと把握している。他はみんな新メンバーで、スタッフもマネージメントも一新したよ。

─実際ツアーに出るにあたり、プロモーションやリハーサルをしていく中で、クリスとの関係性が変わった部分を実感することはありましたか?

リッチ:間違いなく変わった。クリスも僕も、離れて活動したことで、物の見方が変わった。離れている間に、それぞれやりたいことをやった。僕もいろんなことを経験できた。初めて映画音楽を手がけて、《Experience Hendrix Tour》に参加して、演劇舞台の音楽も手がけたし、油絵の個展もやった。他のバンドのプロデュースをしたり、人のために曲を書いたり。ソロ・アルバムを4枚、ソロEPを2枚出して、マグパイ・サルートもやった。クリスもCRB(Chris Robinson Brotherhood)をはじめ、いろいろ活動していた。解き放たれて、自由な活動ができたんだ。どの経験も、人間として成長を促してくれるものだし、お陰で視野も広がった。例えば、自分のバンドの誰かの行動を見てイラッとした時に、昔の自分も同じことをやっていたなと思い出した。クリスが一方的に悪いわけじゃなかったってわかった。自分も火種を作っていたんだってね。クリスも同じことを言っていたよ。9年かけてお互いそれぞれカウンセリングをやっていたようなものだ。二人でまた一緒にやるなら、つまらない意地とか持ち込まず、ちゃんとやろうという、大局的なものの見方をどちらも得ることができた。

Translated by Yuriko Banno

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