PaleduskのDAIDAIが語る、音楽ルーツと創作の裏側(BMTHオリーのコメントあり)

他のバンドが行けないラインまで行ける

ー帰国した時はすでに日本でもラウドロック、メタルコアは流行っていたと思いますが、音楽的にはどう打ち出していこうと思いました?

DAIDAI 売れてるバンドもいたし、ハードコアの渋い先輩たちもいて。その中で、自分は他にはない曲を書けるなという、根拠のない自信が謎にあったんですよ。宣戦布告してるつもりはないですけど、先輩たちが行けないラインまで自分なら行けるなというのはあったんです。でもその時、一つだけ自分に足りないなと思ってたのが、パソコンで曲を作るDTMで。あれを僕はやったことがなかったんですよ。DTMの習得が自分のバンド人生の鍵になると思ったので、遅かったけど23歳から始めて。自分の中では良い音楽の設計図がいっぱいあったので、それをちゃんと扱えるようになったら、世界は驚いてくれるだろうなと思ってました。

ーDTMはツールですが、頭の中のアイデアという部分では、音楽的な引き出しがかなり豊富にないと、あの音楽は生まれないと思うのですが。ロック以外の音楽もかなり頭の中に入っていますよね。

DAIDAI ギターの入りはハードロックですけど、その前にクラシックピアノをずっとやってて、ピアノの先生からはジャズも教えてもらいました。家の中でもいろんなジャンルの音楽が流れてて。両親が画家なんですけど、ずっと音楽をかけて絵を描いてるんです。ジャンルも多種多様で、ヒップホップ、クラシック、中国の音楽といろいろ流れてたんです。いろんなジャンルがずっと小さい時からあって、それが自分の中で幅を広げてくれたんだと思います。

ーエレクトロニック・ミュージックやヒップホップは?

DAIDAI 小さい時からよく遅刻してたんですけど、朝みんなが学校に行ってる時間に、TVで木村カエラさんが司会をしてた『saku saku』を観てたんです。それで木村カエラさんが音楽を始めるって言って、アルバム『+1』が出たんですけど、石野卓球さんと曲をやってるんですよ。パンクもあればテクノもあって。そこから電子系の音にハマっていきましたね。一回、雷が落ちたのはスクリレックスを聴いた時で。From First to Lastで歌ってた人が新しいのを始めたぞというのが、スクリレックスだったんです。ちょうどその頃、ヘヴィ系のバンドもけっこうピコピコした音を入れるようになってて。その中でも自分はIssuesの前身バンド、Woe, Is Meに衝撃を受けて。そこからいろいろ入っていきました。





ーWoe, Is Me、Issuesのボーカルだったタイラー・カーターとは交流がありますよね。

DAIDAI よく一緒に曲を作ったりしてますね。

ーこの前ブリング・ミー・ザ・ホライズンのオリー(オリヴァー・サイクス)と話した時、DAIDAIのアイデアはエンドレスだと言ってましたよね。本当にエンドレスなのですか?

DAIDAI 今のところはそうですね。いつか枯渇する感覚が来るとは思うんですけど、まだその感覚はないです。常にやりたいことがいっぱいあるし、毎日、いろんな曲を聴くたびにひらめきがあると言うか。人の曲を聴いてると、余計なお世話なんですけど、「俺だったらこうするのに」というのが山ほど出てくるんです。それを自分の曲にぶつけてますね。分析するのが好きなので、以前は頑張って楽譜に書いてたんですけど、今はパソコンにアイデアを貯めてます。高校の時は担任が顧問をやってた吹奏楽部に入ったんですけど、その時もオーケストラのフルスコアを見るのが大好きで。チューバがこういうベースを弾いてるから、こういうメロディなんだとか、見てなるほどと思うのが好きだったんです。ポップスや電子音楽を聴いてる時も、一回自分なりに理解できるように、楽譜に書き起こす癖がついてたんですよ。

ーギタリストって作曲する時に、リフやコードから考えることが多いですが、もっと全体のレイヤーで考えるわけですね。

DAIDAI 根本から考える癖がついてるので。曲を作る時は、自分のネタ帳から引っ張り出したり、混ぜて実験したりして、レイヤーでつなげるようにはしてますね。



RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE