ライオット・ガールの象徴、スリーター・キニーが語る「喪失と鉄の絆」が生んだ新たな傑作

スリーター・キニーの歩みと「家族」の絆

太平洋岸北西部を中心とするライオット・ガールのシーンが隆盛を誇っていた90年代半ばに登場して以来、スリーター・キニーはその猛烈なエネルギーで頭角を表してきた。彼女たちはシャープかつタフで脈打つような歌詞を紡ぎ、敬意を要求し、パーソナルな価値観と政治的見解に境目を設けようとしない。タッカーの唯一無二のシャウトと、ブラウンスタインの圧倒的なギターテクニックを武器に堅固なファンベースを築き上げた彼女たちは、特に女性によるロックバンドを切実に欲していた女性たちの共感を呼んだ。


1995年撮影のスリーター・キニー、左からジャネット・ワイス、コリー・タッカー、キャリー・ブラウンスタイン(Photo by Lindsay Brice/Getty Images)


1997年のライブ映像

ブラウンスタインとタッカーは、2006年に活動休止を発表するまでの10年間で7枚のアルバムを発表した。そして2015年発表の傑作アルバム『No Cities to Love』を皮切りに、バンドは第2期に突入する(今となっては第1期とほぼ同じ長さとなった)。だがこの間に、バンドは大きな変化をいくつか経験することになる。1997年発表の出世作以降活動を共にしてきたドラマーのジャネット・ワイスは、バンドにおける自身の存在意義の変化を理由に、4年前にバンドを脱退した(ワイスは出演したポッドキャストで、脱退の経緯について語っている。「『私はもうただのドラマーでしかないということ?』という私の問いに、2人はそうだと答えた。『バンドのクリエイティブ面にはもう貢献していないということ?』と訊くと、2人はノーと言った。だから私はバンドを去ることにしたの」)

当初は軋轢を生んだものの、3人は今も連絡を取り合っているという。「誕生日にはお互いにメールを送ってる」とブラウンスタインは話す。「家族みたいなものね。バンドのあり方が変わった今、それが私たちの関係を最も的確に表現する言葉だと思う」。



「彼女がスリーター・キニーの物語の一部であることは、これからも変わらない」とタッカーは付け加える。「私たち2人とも、彼女のことをいつも気にかけてる」。

本誌寄稿者のロブ・シェフィールドが「アメリカが生んだ最高のパンクバンドのひとつ」と評してから約30年間が経った今、タッカーとブラウンスタインはお互いが発する言葉を補完できるに違いない。2人がそうしないのは、相手が話す言葉に耳を傾けることが純粋に好きだからだ。長年にわたる努力の結晶であるこのクリエイティブなパートナーシップを、2人は生涯をかけて守ろうとしている。

Translated by Masaaki Yoshida

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