バービーと原爆:「#Barbenheimer」が浮き彫りにした「軍事」と「フェミニズム」という難問

忘れられていないミーム

2023年夏のアメリカで大ヒットを記録している映画『バービー』は、ここ日本では、8月11日の公開を前に、思わぬミソをつけてしまうこととなった。

『バービー』は、アメリカで7月21日に公開され、クリストファー・ノーラン監督作『オッペンハイマー』の初日と重なった。ピンク一色に塗りあげられた陽気なルックのコメディと、ダークでシリアスなトーンに彩られた2作は、その雰囲気があまりに対照的だったことから(真逆の雰囲気をもつ映画を同時に上映することは「カウンタープログラミング」と呼ばれる手法なのだそうだ)、映画好きの好奇心を刺激し、「2本をハシゴして観よう!」といったニュアンスから「#Barbenheimer」というハッシュタグがソーシャルメディア上でヴァイラルすることとなった(リシ・スナク英国首相も、このハッシュタグをつけて、映画館で撮影した自身と家族の写真を投稿した)。

さらに勢いづいたユーザーたちが、キノコ雲とバービーをコラージュした動画を作成し投稿し始めた。それらの画像に『Barbie』の公式アカウントが「忘れられない夏になる」といったコメントつきで「いいね!」していたことに目を止めた日本人ユーザーから「無神経だ」「配慮に欠ける」と強い反発が提出され、映画の配給を手がけるワーナーブラザーズ・ジャパンがアメリカ本社に対応を求め、本社が謝罪するにいたった。

原子力爆弾とバービー風の「ホットで完璧な理想の女性」(これが、まさに映画『バービー』の主題だ)の組み合わせは、それ自体が目新しいものではない。ビキニ水着やリタ・ヘイワースの逸話からうかがい知ることができるのは、それが、原爆が日本に投下された直後から用いられてきた歴史的な「ミーム」だったということだ。そして、それはこの夏まで完全に忘れ去られたものだったわけでもない。「原爆と理想の女性」というミームがいまでも有効であることは、例えば2022年に公開されたフローレンス・ピューとハリー・スタイルズ主演、オリヴィア・ワイルド監督作品『ドント・ウォーリー・ダーリン』の舞台設定からも見て取ることができる(原爆とはなんの関係もない映画ではあるのだが)。



「アトミックシティ」ラスベガス

「旧世界の知られざる遺物を精査する」をタグラインに掲げるウェブサイト「We Are the Mutants」は、アイルランドのコーク大学で戦後文学を研究するミランダ・コーコランのエッセイ「原子爆弾と美の女王: 女性のセクシュアリティと破壊の図像学」を、2019年1月に公開している。このエッセイのなかでコーコランは、原子爆弾がセックスシンボル化していった歴史を読み解く上で、ラスベガスという街が果たした大きな役割に注目している。

 1951年から1992年までの間、アメリカ原子力委員会は、ネリス空軍砲爆撃場実験場(後のネバダ核実験場)で合計928個の核爆弾を爆発させた。そこから65マイル離れた砂漠の中心にラスベガスはあった。すでに快楽主義者とギャンブラーたちの集積地となっていたラスベガスは、核実験場に近接していたことで、ユニークな観光資源を手に入れた。1950年代初頭からキューバ危機をきっかけに限定的核実験禁止条約が結ばれるまでの間、観光客はデザート・インやビニオンズ・ホースシューといったホテルのバルコニーに詰めかけ、遠くの爆発が空を照らし、やがて巨大なキノコ雲に膨れ上がるのを眺めた。(中略)

 1951年から1957年にかけて、原爆にちなんだ美の女王たちがラスベガスから現れた。キャンディス・キングという女優兼ダンサーは、1952年にラスベガス市政府が発表した広報写真の中で、「ミス原爆」という肩書きでポーズをとっている。写真に添えられた文章には、「ユッカ・フラットでの最近の原爆作戦に参加した米海兵隊員たち」を魅了した彼女は、「原子粒子の代わりに愛らしさを放っていた」と記されている。


 その5年後の1957年、核をテーマにした最も象徴的な美の女王、リー・マーリン、通称「ミス原爆」は「原爆から最も生き残って欲しい女性」として祝福された。「ミス・アトミック」の称号は、当時の他の「アトミック」の称号と同様、美人コンテストの結果として授与されたものではなく、地元の観光局のやらせだった。にもかかわらず、大衆の想像力をかき立てることに成功した。ビキニと同様、アトム時代の美の女王たちは、第二次世界大戦後の数十年間、女性のセクシュアリティについての一般的な文化的認識を体現していた。




ちなみに、ミス原爆リー・マーリンの姿はアメリカのロックバンド、ザ・キラーズが2012年に発表したシングル曲「Miss Atomic Bomb」のジャケット(上掲)で見ることができる。また、ウェブサイト「Popular Mechanics」の記事「ミス原爆と1950年代ラスベガスの核の熱狂」は、こんなことを書いている。

 ラスベガスの街は「アトミック・カクテル」や「アトミック・ヘアスタイル」「アトミック・パーティ」で溢れかえる「アトミック・シティ」へと変貌した。「アトミック・パワー」をもつアメリカ唯一の歌手と謳われた若きロックンローラーもこの街で毎晩演奏していた。そのシンガーの名前はエルヴィス・プレスリーである。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE