追悼シネイド・オコナー 不条理な世界と闘ってきたシンガーの必聴10曲

「Drink Before the War」(1987年)



ティーン特有の怒りをたぎらせた当時15歳のオコナーは、何が何でもクリエイティビティを弾圧しようとする男性(彼女が通っていたキリスト系学校の校長であることが後に判明)をテーマに渾身の挽歌を書いた。15年後、ロック評論家のスティーヴ・モース氏とのインタビューでオコナーは、1987年のデビューアルバム『The Lion and the Cobra』の収録曲に今はもう共感できないと語った。「「Drink Before the War」は大っ嫌い」と本人。「なんかぞっとする」。それでもファンは、ささやかな抵抗を歌った歌詞に今も心を通わせる。「私たちが間違ってるとあんたは言う/自分たちの歌を歌ってはならないと」という囁きの後、カタルシスの波が押し寄せる。シネイドいわく、「自分の日記を読んでるみたいだわ」 -J.H.

「Mandinka」(1987年)



『The Lion and the Cobra』のジャケットに映し出された丸刈り頭は、たちまちオコナーを他とは違う存在にした。だが彼女のすべてがポップ界のルールを書き換えることになるのがはっきりしたのは、「Mandinka」だった。エッジの効いたギターと西アフリカのマンディンカ族にちなんだタイトルは、80年代ポップのカテゴリーには馴染まなかった。泣き叫びながら死を告げるアイルランドの妖精バンシーのようなコーラス部分は、当時類をみないサウンドだった。ロック史上もっとも妥協を許さないアーティストの到来を告げたのは、外見よりも「Mandinka」の切れ味鋭い歌声のほうだった。-D.B.

「The Emperor’s New Clothes」(1990年)



『蒼い囁き』の中でも異彩を放つアップテンポな楽曲――騒々しいと言ってもいいほどだ。だがテーマは決して明るいとは言えない。元恋人に宛てたと思われる痛烈かつ詳細な三行半は、オコナーを批判し続ける大衆に宛てたものでもあった――歌詞の中にもあるように、「大勢の人々が/こうしたほうがいいと余計なおせっかいを言ってくる」(後に本人いわく、実はU2に向けた反発だったそうだ)。当時オコナーはシングルマザーになったばかりで、この曲でも「妊娠による変化」に触れ、終盤にはきっぱりこう宣言する。「私は自分のポリシーで生きる/曇りなき良心を抱いて/穏やかに眠りにつく」。

Translated by Akiko Kato

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE