マッドリブとMFドゥームの歴史的名曲「Accordion」が生まれるまで

サンプリングの魔術師、マッドリブ

「Experience」を聴いて、ヒップホップ史に残るクラシックなビートとなる可能性を見出すプロデューサーは多くないだろう。アコーディオン(あるいはエレクトリック・コード・オルガン)のざらついた音色は、ジャズとソウルを基調にした滑らかなプロダクションと相性がいいとは言えない(伝説的フォトグラファーのB+は筆者の前で、アコーディオンは古臭いイメージとは裏腹に「シンセサイザーの始祖」なのだと力説していたが)。絡み合うメロディが聞き手の意識を内側へと向かわせる同曲は、打楽器の追加の必要性を感じさせない。

ある時どこかでそのレコードに針を落としたマッドリブは、まるで異なることを考えた。筋金入りのレコードディガーであるマッドリブはマイナーなジャズのレコードを好むが、「Accordion」はサンプリングによってあらゆるジャンルと時代の音楽を生まれ変わらせる彼の並外れた嗅覚を物語っている。マッドリブは同じく『Invention』に収録されている「Playing Parties」のリミックスを正式に発表している。デイダラスは彼がアルバムの別のトラックをサンプリングしていたことを把握していなかったが、それがビート・コンダクタのやり方だ。アルバムを聴く時は必ず、彼はターンテーブルにサンプラーをつなぎ、最高の瞬間を捉えようと終始目を光らせている。



古い世代のアーティストに欠落しがちな柔軟な感性を持ち合わせたデイダラスは、シンプルな素材の追加によって原曲のメロディを生まれ変わらせたマッドリブの手腕を認めている。「ドラムとベースを追加するというシンプルなやり方で、楽曲を劇的に生まれ変わらせた」とデイダラスは話す。「自分でもサンプリングで曲を作るから、その化学反応のようなプロセスは理解している。他人にとっては何の意味も持たないものを、特別な何かへと変形させるんだ。マッドリブはそのプロセスを知り尽くした、まさにサンプリングの魔術師だ」

大半のヒップホッププロデューサーは、アコーディオン風のサウンドをビートに転用しようとは考えもしないだろう。同様に、ほとんどのラッパーはそのビートにラップを乗せようとはしないだろうし、最も印象的なラインのひとつでその楽器に言及し、曲のタイトルにしようと考えたりはしないはずだ。

「対比こそが『Accordion』の魅力だと思う。アコーディオンという楽器は、ヒップホップのビートやライム、そして文脈とは結びつかない。フィットしないんだ。でもMFドゥームは、あらゆるものを自分の世界観に反映させてしまう」

ドゥームは冒頭のリリックのラインで、自分に残された時間が限られていることを自認する。それは彼が生きていた頃から既にアイコニックだったが、彼が逝去したことでより大きな意味を持つことになった。

「驚くべきことに、彼は自分が病気だってことを既に知っていたんだ。あのライムがそれを証明している」『Madvillainy』のジャケットとなったドゥームの写真を撮ったフォトグラファー、エリック・コールマンはそう話す。「あれは彼の叫びだったんだ。『俺は病に冒されている。死が忍び寄ってくる』。信じられないけど、彼はすべてを明かしていたんだ。僕らが理解できていなかっただけでね」

自身の作品がドゥームとマッドリブのアルバムに使われると知った時の興奮を、デイダラスは今でも覚えているという。

「あの曲のことを初めて知ったのは、サンプルの使用許可を求められた時だった」とデイダラスは話す。「ふたつ返事で了承した、口約束という形でね。歴史に残る名盤の一部になる機会を与えられたわけだから、アーティストとしてこれ以上に名誉なことはないよ。私はあのレコードに心酔しているんだ。自分が参加していなかったとしても、それは絶対に変わらない。たとえ脚注程度だとしても、そんなアルバムに自分の名前がクレジットされていることをすごく誇りに思ってる。あれがきっかけで、本来なら自分とは無縁の世界に足を踏み入れることができた。だからすごく感謝しているんだ」

口約束という形だったがゆえに、デイダラスが「Accordion」の報酬を受け取ったのは随分後になってからだった(後年にドレイクやトリッピー・レッド等が同曲のビートを使った時に発生した控えめなキャッシュを除く)。デイダラス自身を含む多くの人々は、アルバムが2004年のリリースと同時に予想外の成功を収めたことがその理由だと考えている。

「私を出し抜くこともできたはずだ」とデイダラスは話す。「私が一切の利益を放棄するという内容の契約書をあの時点で提示されていたとしても、私は署名していたと思う。あの曲がこれほど成功するなんて、当時は誰も予想していなかった。マッドリブは素晴らしい才能の持ち主で、私は彼のことを心から尊敬している。ドゥームは言わずもがなだ。しかし、あのプロジェクトが始まった時点で、彼らは経済的に豊かではなかった。ブラックアメリカンの表現たるアンダーグラウンドのヒップホップはシーンの隅に追いやられたままで、彼らはその住人だった」

Translated by Masaaki Yoshida

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