音楽はきみを傷つけない:ジョージ・クリントンが陰謀論とフェイクニュースの時代に授ける教え

 
音楽そのものをめぐる音楽

再三指摘してきた通り、ジョージ・クリントンは、「真面目」なものに対してとことん斜に構えますが、ただひとつ、そうではない対象がありまして、それが「音楽」です。

『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』というアルバムは、本人によれば「月に持っていくPファンク・レコードを一枚選べ」と言われたら、「これを選ぶ」というほどのお気に入りだそうですが、このアルバムが、「銃」「光」「絶滅危惧種」「プラシーボ」「エンテレキー」「NPO」といったデタラメなメタファーを駆使しながら、いったいなにを語っていたかというと、結局のところ「音楽」なんですね。「あのレコードのほぼ全てが、音楽そのものについて語っていた」と本人は言っていまして、なんなら、音楽の「啓蒙的な力」の表現としてこのアルバムをつくったとまで言っているほどです。少なくともこのアルバムでは、彼は相当「真面目に」音楽について語っているんです。また、このアルバムが特例なのかといえばそんなことはなく、いざそうやってほかの作品を聴いてみると、たしかにクリントンは、ずっと音楽のことを音楽を通して語っています。

ファンカデリックのお気に入りの曲のひとつに「Standing on the Verge of Getting it On」という曲がありまして(1974年の同名アルバムに収録)、これがいったい何を歌っているのかをつい先日調べてみたんです。タイトルからして、セックスの歌だろうと思っていたのですが、これが徹頭徹尾、音楽の歌で改めて驚きました。こんな内容です。

「頭で理解できないからといってきみに向いてないと思うなかれ/きみにぴったりかもしれない/いまはわからなくてもいつかきみをひっくりかえしてしまうかもしれない/そうなったらぶっ飛ぶぞ/抗ってはだめなんだ/音楽はきみを傷つけるようにはデザインされていないから」

音楽をセックスの比喩で論じることはよくあると思いますが、この歌では、むしろことは逆で、セックスが音楽の暗喩であるという感じになっていて、そう考えてみると、たしかにPファンクには見た目の下品さに反して、全体として「下ネタ」が少ない気もします。それはとりもなおさず、ジョージ・クリントンが、セックスよりもファンクのほうを上位の概念とみなし、セックスは「ファンケンテレキー」が顕現する、ひとつの形式というか相というか、そういうものとして考えていたからであるようにも思えてきます。



ちなみに、ファンカデリックの『America Eats its Young』に、「Biological Speculation」という可愛らしい曲がありまして、これも大のお気に入りなのですが、サビはこんな歌詞になっています。

「われわれはここに座ってヴァイブレートする生物学的思弁/でも何にヴァイブレートしているのかはわからない」

人間という「生物学的思弁」を生かしているのは「ヴァイブレーション」であるという見立ては、先の「ファンケンテレキー」とも通じ合うもので、「超物質的な原理=ファンケンテレキー」を、ここでは「ヴァイブレーション」ということばで言い換えているわけです。で、そのヴァイブレーションと響きあっている状態を「グルーヴ」と呼び、そこにある種の「動的平衡」が生まれたとき、その生成の場を「ファンク」と呼ぶのである、とでもいうような観念をこの歌ではおそらく提出しているわけです。「動的平衡」は半分冗談だとしても、『America Eats Its Young』には「Balance」という曲もあったりしますので、実際、そんなに遠くない話をしている可能性はなくもないような気がしなくもありません。



だんだん何を言ってるのかわからなくなってきましたが、ただ一点、ここで重要なのは、人間は、たしかにヴァイブレートするのだけれども、実際何にヴァイブレートしているのかはわからないとクリントン自身が認めているところです。ファンクとはエンテレキーだとか、ファンクはNPOだとか、色々と仮説を提出してはみるものの、それはあくまでも仮説であって、結局のところ音楽もしくはファンクの本質は、クリントンにとっても謎なんですね。

ただ、それがもたらす効果については確信はありまして、先に紹介した「Standing on the Verge of〜」でも、「音楽はあなたを傷つけるようにはデザインされていない」といったことは強く断言されています。このフレーズからもわかる通り、Pファンクにおいては、音楽やファンクやグルーヴといったものは、まずもって絶対的にいいものとして語られます。「永遠の真実を宣伝することに興味はなかった」はずのジョージ・クリントンも、この点においてだけ唯一の例外として、ほとんど絶対的な真理として音楽のよさを信じているんですね。


ジョージ・クリントン、2019年撮影(Photo by Jack Vartoogian/Getty Images)

音楽の面白さは、見たり触ったり匂いを嗅いだりすることのできない実体のなさにありますし、かつ音楽を聴いたり踊ったりしていると時間感覚が歪むようなこともありますから、クリントンはもしかしたら、「ファンタジーはリアリティ」というテーゼの、最も純粋なかたちを音楽に見ていたのかもしれません。「音楽はファンタジーであり、リアリティなのだ」と言われたら、たしかにそんな気もしてきませんか。

なんにせよ「音楽はいいものなんだ」という基本的な信念はPファンクの音楽を規定する大事な要素でして、しかも、「音楽は人を傷つけるようにはデザインされていない」と強く信じているあたりに、どぎつい表向きのイメージとは裏腹の、なんとも透明な優しさが見え隠れします。落ち込んだり元気がないときに、『Maggot Brain』なんかを無性に聴きたくなったりするのは、だからなんです。Pファンクは一種のセラピーでもあるんです。

Editorial Support = Yasutomo Asaki

 
 
 
 

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