音楽はきみを傷つけない:ジョージ・クリントンが陰謀論とフェイクニュースの時代に授ける教え

 
神話とダジャレ

そもそも、このシーンは、パーラメントの75年の名盤『Mothership Connection』をベースにしたもので、この名盤自体が、UFOをモチーフにした珍妙なストーリーに彩られたものだったわけですが、彼はこのアイデアを、当時流行っていたエーリッヒ・フォン・デニケンの『未来の記憶』という、SFといいますかトンデモ本と言いますか、を下敷きにしたと言われています。その本にクリントンが心酔していたかといえば、もちろんそんなことはなく、彼のことばを借りれば、先のブラック・イスラムが語るマザーシップ神話も、デニケンの本も、「参考にする神話のひとつ」にすぎず、それは「古代エジプトのミイラ話や、SF映画やその中で描かれる宇宙、クローン作成と変わりない」となります。



とにかく、そこに「真理がある」と謳うようなものは、とことん信用しないわけですが、それでも「スタートレック」といったテレビ番組など同時代のポップカルチャーは大好きだったそうですし、デニケンの本なども実際読んでみたりはしますので、冷笑的に時代のトレンドをバカにしていたかというと必ずしもそうではなく、おそらく、何かが流行っているときに、それが流行っている状態を、事象として面白がっていたのではないかと思います。クリントンはおそらく、そのことに非常に長けていたように感じますが、その感性は極めてジャーナリスティックなものだと言えるのではないでしょうか。

とはいえ、クリントンは基本「すべてはファンタジー=虚構」だと見切っていますから、彼にとっての現実世界というのは、いわばありとあらゆるファンタジーが、デタラメに折り重なりせめぎ合あっている、混沌とした場所だったのかもしれません。誰しもがそれぞれの「神話」を勝手に信じている、中世の頃とさして変わらないような社会を、わたしたちはいまなお生きている、ということですね。

「フェイクニュース」や「陰謀論」なんていうことばもすっかり一般化しましたが、フェイクニュースや陰謀論というといかにも、それに対置されるかたちで「真実」というものがあるように聞こえますけど、ジョージ・クリントンに言わせれば、きっと、フェイクニュースなんてことばがつくられる前から、全部がフェイクだろ、となりそうです。もちろんそれが悪いと言っているのではなく、それが私たちの現実だ、と彼は言っているわけです。どうでもいいですが、昔「ミリ・ヴァニリ」というイケメンR&Bデュオが口パクで音楽界を追放されたことがありましたが、その際に、クリントンが「そういうもんだろ」と擁護した、なんてことをいま思い出しました。


ジョージ・クリントンとゲイリー・シャイダー(Gt)の熱演 、1977年撮影(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

そんなわけで、UFOをモチーフにした最高にとんちきなアルバムをつくったあとには、今度はクローンをモチーフに『The Clones of Dr. Funkenstein』(1976年)を制作し、さらに続けて、エンテレキーというアリストテレス由来の哲学用語を無理やりファンクに結びつけた『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』を発表します。

すでにお気づきかもしれませんが、こうしたコンセプトは、大げさでもっともらしい感じを出してはいるものの、基本ダジャレなんです。「ファンク」ということばと語呂があっちゃえば、それでいいみたいなところがありまして、実際「フランケンシュタイン」を「ファンケンシュタイン」にした程度のことなんです。ただ、こうしたダジャレを単なる語呂遊びに終わらせず、そうしたことば遊びをきっかけにして、ファンクとはいったいどういうものなのか、ということを無理やりにでも考えようとしたのが、ジョージ・クリントンの偉いところでして、例えば、エンテレキーというのは、簡単に言ってしまうと生命を生命たらしめている「超物質的な原理」のことを指しますが、クリントンは、「その原理こそがファンクなんだ」と、あえて言ってみるわけです。




また「Funkentelechy」(ファンケンテレキー)という曲のなかで、エンテレキーとなんのつながりがあるのかわからないのですが、突然“ファンクはNon Profit Organization(非営利組織)だ”と言ってみたりもします。それも、ただ「NPO」ということばに引っかかって言ってみただけのような気がしますが、ちょっと調べてみたら、アルバムが出た前年の1976年には、米国議会で、非営利団体がロビー活動に年間100万ドルまで合法的に支出できる法案が可決したそうで、これによって、非営利団体の政府に対する発言力が高まったそうなので、あるいは、そんなニュースをみて「これってファンクじゃん」と思ったのかもしれません。

とはいえ、語呂が面白ければなんでもいい、と考えていたのかといえばそうではなく、やはり、そこで語られる「意味」も重視してはいたんだと思います。つまり、そこに本気のメッセージがまったくなかったのかというと、決してそんなことなかったはずです。

Editorial Support = Yasutomo Asaki

 
 
 
 

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