音楽はきみを傷つけない:ジョージ・クリントンが陰謀論とフェイクニュースの時代に授ける教え

 

パーラメント/ファンカデリック、1974年頃のプレス写真(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

「虚構」こそがリアリティ


なんにせよ、ここで大事なのは、クリントンは「熱狂」というものに対して、ずっと醒めた立ち位置を取り続けたということです。ファンカデリックの4作目『America Eats Its Young』(1972年)には、ヴェトナム戦争帰還兵の問題を取り上げた曲が入ってたりしますが、基本的には歌詞でも発言でもストレートな物言いはほとんどしていませんし、自伝でも「俺は、プロテスト・ソングとは別の方向に進んだ。俺には、社会的・心理的な事柄、特にその中でも生、死、社会統制といった最もシリアスな考えには、可笑しさがあるように思えた。そして、そこに留まり、喜劇と悲劇、現実と非現実の間のスペースに漂うと、一種の知恵のようなものが生まれてきた」と語っています。

パーラメントの1970年のデビューアルバム『Osmium』をいま改めて聴いてみますと、たしかに構成のしっかりしたゴスペルやロックやR&Bが収録されているのですが、それを「ガチ」でやっているというよりは、どこか芝居ががったところがありまして、いうなればブラックミュージックによるオペレッタを目指していたように聴こえなくもありません。つまり、ここでも、クリントンはシリアスなものを、横から冷ややかに眺めながら相対化しようとしています。

奇妙なストーリーを仕立てあげて、シリアスな問題をコメディ化して見せるのは、のちに70年代半ばから後半にかけてのパーラメントの諸作で花開く戦略で、ファンクをベースにした「スペース・オペラ」の制作という長年のクリントンの悲願は、パーラメントの6作目『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』(1977年)でひとつの達成をみますが、なんのことはない、その構想は1stアルバムからすでに明確なものとしてあったと見えます。




『黒人音楽史:奇想の宇宙』(中央公論新社)のなかで、後藤護さんは、クリントンのこうした演劇的な身振りの淵源をミンストレル・ショーに認め、Pファンクは「『黒塗りした白人』というミンストレル・ショーをさらに猿戯(シグニファイング)して、『黒塗りした白人をさらに真似た黒人』という人を食った感じが濃厚なのだ」と書かれています。

ちなみにひとつ的ハズレなことを言うと、ディスコミュージックをひとつのレールとしながら、どんな音楽をも自在にぶち込めるようなデザインされたフレーム(もしくは仮面)を構築して、それをコメディ的な装いでくるんだバンドとして、パーラメントとYMOはよく似ているのではないかと感じたりもします。なんの因果関係もないはずですが、パーラメントの絶頂期とYMOのデビューは年代的にも近いんですよね。





パーラメントのデビュー盤「Osmium」に話を戻しますと、この作品のボーナスエディションには、アルバム制作時のデモ音源が収録されていますが、ここに、のちにパーラメントの77年の名作ライブ盤『P-Funk Earth Tour』のラストを飾ることになる名曲「Fantasy is Reality」が含まれていまして、77年のものとはアレンジは違っていますが、この曲がすでに70年につくられていたことに改めて驚かされます。

この曲は、タイトル通り、「幻想はリアリティ」と歌うものですが、それこそユヴァル・ノア・ハラリが『サピエンス全史』で書いたとされるように、人間を人間たらしめているのは「虚構の力」であるということを、なんとすでに70年に喝破していたかと、改めて感嘆してしまいます。というのは半分冗談だとしても、世界も宇宙もすべては虚構であるということを、バンド活動の根幹に最初からおいていたことは、やはり改めて確認しておいたほうがいいことのように思います。



「すべては虚構」とみなすこうした態度・身振りは、とりわけ音楽が政治性を帯びてきたときに重要なものになっていきます。例えば、ジョージ・クリントンは、レゲエの神様ボブ・マーリーがどんどん政治に絡みとられていくのを見て、「身を案じていた」と自伝のなかで明かしています。

「ボブはダライ・ラマのようだった。彼は知らぬ間に、評論家やファンによって、その立場へと祭り上げられた」。また、「愛と平和についてあまりに頻繁に語り、しかも目立ちすぎると、混沌によって金儲けをする世界中の実業家たちの利益を損なうことになる。愛と平和の役割を担えば、処分されてしまうのだ」とも語り、そうした危険な道を避けるべく、「俺たちは反対の道を選んだ。そんな立場に俺たちを結びつけようとする者がいないよう、とことんバカげた行動を取ったのだ」と明かしています。

あるいは、前述のライブ盤のもととなったツアー「P-Funk Earth Tour」の演出には、宇宙からのファンクの使者スターチャイルドが、マザーシップから地球に降り立つ場面がありまして、そこで「Swing Down, Sweet Chariot」というゴスペルが呪術的に歌われますが、このシーンが、アメリカ黒人の間で広まっていた「Nation of Islam」の宗派の教えにある一場面にそっくりだということで、ツアーに「Nation of Islam」の信徒がたくさん押しかけてきてしまい、「知識を授けてくれブラザー・ジョージ」と客席からら叫ばれることになってしまった顛末が自伝で明かされています。ここでクリントンは「これはマズい」と悟って、こんな対応をします。

「彼らの顔を眺めると、誰もが頭を垂れており、祈りを捧げているかのようだった。俺は彼らを真っ直ぐ見つめ、『これは単なるパーティさ』と言った。そして、金や女のジョークを加速させると、自分は人々を楽しませて金をもらっているだけだということを、蝶ネクタイの輩を含めた観客全員に向けて念押しした。いかなる類のものであれ、永遠の真実を宣伝することに興味はなかった」

「永遠の真実」を懐疑し続ける、クリントンのこの姿勢は、プラグマチズムの思想につながりそうなところもありそうですが、いずれにせよ、嘘もホントも等価なものとして醒めた感覚のなかで楽しむ姿勢は、フェイクニュースや陰謀論にまみれたなか、みなが必死に自分が見出した「真実」にしがみつく世の中にあって、大いに参考にすべきものではないでしょうか。


Editorial Support = Yasutomo Asaki

 
 
 
 

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