GENERATIONS中務裕太とShiori Murayamaが語る、ダンスパフォーマンスとエンタテインメントの探求

ダンサーとしてのキャリア

—Murayamaさんが踊りたいと思ったきっかけは、やっぱりEXILEの影響ですか?

Murayama:はい。ダンスを始めたきっかけが、EXILEさんが紅白歌合戦初出場の時に「Choo Choo TRAIN」でキッズダンサーを連れて踊ってたのを見たことだったんです。それをマネして踊っていたら、私がダンスをやりたがってることに親が気づいて、スポーツクラブのキッズダンスクラブに連れていってくれました。その後、EXPGに入ったんです。

—ダンスの世界に入ってみて、どうでしたか?

Murayama:誰もが経験できるわけじゃないことをこんなに若い時から経験できるなんて、本当に凄い環境にいるなって思いましたし、憧れの人たちがいるなかでダンス面でもメンタル面でもトレーニングができたのは、すごくいい経験でした。

—中務さんがダンスを始めようと思ったきっかけは何だったんですか?

中務:もともと母親がブラックミュージックが大好きで洋楽をたくさん聴かされていて、6〜7歳の時にアッシャーのミュージックビデオを見せられたんです。その時に俺も踊りたいっていきなり言い出したらしくて、母親が地元のダンススクールを探してくれたのがきっかけでしたね。そこから15〜16歳ぐらいの時に、当時通っていたダンススクールの発表会にたまたまEXPGのスカウトの方が来ていて、その方にお声がけいただいてEXPGに入りました。

—EXILEも聴いてたんですか?

中務:偶然、母親がEXILEのCDだけは持ってたんですよ。日本人アーティストのCDで唯一母親が持っていたのが、EXILEと久保田利伸さんで。当時はEXILEの「Carry On」のミュージックビデオとかを見てました。最初はEXPGに入ることにあんまり興味はなかったんですけど、いろいろ話を聞いたり体験レッスンに行ったりするなかで、メンバーさんがスタジオに遊びに来てレッスンしたりしているのを見て、俺もこんなアーティストなりたいなってちょっとずつ思いはじめていきました。

ーその頃からアーティストになりたくてダンスをしていたんですか?

中務:いや、当時は本当にただ踊りたくて踊ってた感じでした。学校が終わったらダンスレッスンに行って、レッスンが終わったら駅前で練習して、の繰り返しで、特に目標はなくて。でも僕はあんまり覚えてないですけど、母親にはダンスでお金稼いでご飯食べていきたい、みたいなことは当時から言ってたらしいです。でもほんと漠然とした感じですね。ただダンスで稼ぐってことしか頭になかったんで、アーティストになることは全く考えてなかったです。

—当時、ダンスでお金を稼いで生活していた先輩もいたんですか?

中務:大阪にいた時の先輩は、ダンスのショーケースとかバトルの優勝賞金でご飯を食べていた人はいました。でもダンスの稼ぎだけで家建てて、みたいなレベルの人はなかなかいなくて。僕はそういうところに行きたいって当時思ってたらしくて、おかんに家を買うとか言ってたらしいです。

—そういう夢を叶えたいって意味でも、ダンスのカルチャーがバックグラウンドにあるグループがメジャーで活躍しているのは、いいモデルケースになりますね。

中務:そうですね。当時そういうダンスグループって、EXILEさんかDA PUMPさんくらいしかいなかったんで。アンダーグラウンドの音楽をメジャーシーンで表現したのは、その2グループが先駆者だなと思います。なのでHIROさんはあらためて凄いなと思います。


Photo by Mitsuru Nishimura

—Murayamaさんも、ダンスを始めた頃から将来ダンサーとして活躍したいと思ってたんですか?

Murayama:そうですね。小さい頃からダンスをしてきて、ダンスをやめるとか考えたこともないですし、本当にダンスが好きだったので、一生踊ってたいと思ってました(笑)。あとは小さい頃から多くのダンサーを見てきたので、将来世界でも活躍できるダンサーになりたいって強い思いはずっとありますね。

—こういう人になりたいと思う人はいたんですか?

Murayama:ちょうどEXPGを辞めた後、LAから帰ってきてたダンサーに会って、自分も世界を見てみたいって思ったことはありました。でも、その人になりたいっていうよりは、負けず嫌いなので、その人を超えるようなダンサーになりたいって思いました。

—アーティストっていうよりはダンサーとして、自分のダンスをもっと世界中の人に見てもらいたい、というモチベーションだった。

Murayama:はい。そうでしたね。

—中務さんは逆に、ダンサーとしてではなくアーティストとしてデビューしたわけですけど、ダンスをどうやってメインストリームに広げていくかって意識はありましたか?

中務:ダンスの良さをたくさんの人に届けることを考えた時に、アンダーグラウンドじゃなくメジャーで表現した方がいろんな人に広まるなって、17歳ぐらいの時に思い始めて。だとしたら、今EXPGで頑張ってアーティストになるのがいいなって思ったので、高校生ぐらいからアーティストになりたいって思い始めましたね。もちろんダンスやるのも好きなんですけど、見てもらう人にダンスって楽しい!とか私もダンスやりたい!って思ってもらいたかったので、それならアンダーグラウンドだけじゃなくて、TVとかメジャーなところで表現するのがいいんじゃないかって思ってました。

ーなるほど。中務さんが、HIROさん以外で、踊りも含めてこのエンターテイナーはカッコいいなって思う人は誰ですか?

中務:マイケル・ジャクソンに叶う人はいないと思ってるので。だいぶ前に亡くなってしまっているのに、今の子どもでも知ってる。それって相当なことだと思うので、マイケル・ジャクソンには勝てないなって今でも思います。一生憧れですね。以前、マイケル・ジャクソンにダンスを教えてた人にレッスンを受けに行ってたことがあって、そういう人からもマイケルのいろんな話を聞くことができて。(マイケルは)教えたらすぐできちゃうし、すぐ自分のスタイルに変えるから凄いって言ってました。マイケルを超える人は出てこないよぐらいに言ってたので、本当に天才だったんだなって感じます。マイケル・ジャクソンのライブに行けなかったのは一生の後悔ですね。母親と行こうと思ってた公演が中止になってしまって、その後に亡くなってしまった。生で見たかったです。

—Murayamaさんは海外で活動していても、マイケルの影響力は別格に感じますか?

Murayama:そうですね。“レジェンド”って肩書きのように残ってますし、世界中で名のあるアーティストもリスペクトを常に持っていて、マイケルのトリビュートで踊ったり、そういうセクションがあったりする。影響力のある人なんだなって思いますし、自分もマイケルのダンスは見てきたので、大きな影響を受けていると思います。

—素朴な疑問なんですけど、マイケル・ジャクソンのダンスの凄さって、ダンサー目線ではどういうところなんですか?

中務:やってることは、そんなに難しくないんですよ。ムーンウォークも半年ぐらいあれば全然できるようになりますし、ポーズも普通にできるんですけど、自分がやってもなんかカッコよくならない。でも、なぜかマイケル・ジャクソンがやるとめちゃくちゃカッコいい。そこがマイケルの唯一無二の凄さですね。ダンスっていうよりは“マイケル・ジャクソン”っていうジャンルで、ダンスを超越したスタイルを作り上げた人だなって感じます。だってポーズだけでカッコいいとか意味がわからないですよ。当時、僕は小学生で、グローブとかもマネして作って鏡の前でポーズしてましたけど、なんかダサくて(笑)。なんでこんなカッコいいんやろ?っていうのは当時から勉強してましたけど、どれだけ頑張っても、あの領域にはいけないなって今でもすごく感じます。



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