ヒップホップ・カルチャーを担う女性たち「Makiko Okada」

BAD HOPから感じた“おもしろさ”

ー岡田さんご自身も、FILE RECORDSを退職された後はZeebraさんが立ち上げたレーベル、Grand Masterとの仕事を経て、BAD HOPの制作面をサポートしていらっしゃいました。

岡田 私が独立する、というタイミングで、ZeebraがGrand Masterというレーベルを始めるという話になって。そこで、業務委託で手伝っていたんですよ。退社直後に、(BAD HOPの)T-PablowとYZERRから声をかけてもらったんですが、BAD HOPからは“大人が関わらないおもしろさ”を感じていたので、自分が入ることでつまらなくなってしまったら嫌だなと思って。迷いに迷って、手伝うことにしたんです。

ーBAD HOPと時間を共にして、改めて気がつく彼らの凄さ、みたいなものはありましたか?

岡田 常にフレッシュだし、YZERRが考えることや「こういうことやったらおもしろいと思うんですよ」っていうことは本当におもしろいんですよ。TOKONA-Xと近いものを感じたんですけど、この子が言ってることは全部本当になる気がするというか、嘘がないというか。「とにかく実現させる」と思わせるんですよね。これはBAD HOPに限らずだけど、おもしろいアーティストってユーモアのセンスも光っていて、一緒にいて喋っているだけで楽しいんです。シニカルなところも含めて。YZERRは本当に、今まで会ったことがないタイプですね。私にとっては、T-Pablowが太陽でYZERRが月、というイメージなんです。斬新さとかアーティストらしい繊細さとか、そこのバランスが今までにないですね。



ー今までのキャリアを振り返って、ご自身におけるキーパーソンはいらっしゃいましたか?

岡田 面識はないんですけど、Def Jam Recordingsを立ち上げたラッセル・シモンズとかJive Recordsにいたアン・カーリーとか、実際にアメリカのヒップホップ・ビジネスを切り拓いて来た人たちですかね。

ー女性という立場で、ヒップホップ・シーンを支えてこられた、という点においてはどうでしょうか。

岡田 私の時代は、ヒップホップが好きな女性自体が少ないという状況でしたし、「女にヒップホップが分かるの?」と言われたこともあって、そのときは「え? ヒップホップって性別があるの?」って言い返しちゃったくらいで。私は、女の人の方が、ヒップホップ・アーティストとの仕事に向いてると思っているんです。喧嘩しても後腐れがないんですよ。男性のスタッフとアーティストが喧嘩しちゃうと、もっとギスギスしちゃうし。だから、この業界にももっと女性が増えてほしいですね。疲れちゃったり、結婚したり、みたいなこともありますけど。

ー男女問わず、30年間、ずっとこの業界にいらっしゃる方もいないのではないかと思っていて。岡田さんは、まさにヒップホップ・シーンの裏方として、ずっと第一線でみんなを率いてきたのではないでしょうか。

岡田 2016年に「さんピンCAMP」が20年ぶりに復活して、「さんピンCAMP20」が開催されましたけど、どっちの「さんピンCAMP」にも行っている裏方は、私だけじゃないかという話になったんです。それくらい、30年近くずっといる人は少ないのかもしれないですね。

ーこれまで手がけてきたなかで、最も印象的に残っている瞬間は何ですか? 膨大な思い出の数があると思うのですが。

岡田 一つに絞るのは難しいですけど、いまだにすごく綺麗に覚えているのは、RHYMESTERが1999年に新宿のリキッドルームで開催したライブ『KING OF STAGE VOL.3』ですね。初めてチケットが即完したワンマンで。リハーサルのときにステージに立って誰もいない客席を見た時、あれほど広いと思っていたリキッドルームが狭く感じられて立ち尽くしてたんです。そこで、舞台制作をお願いしていたクラブチッタの本田さんに「どうしたんですか?」と声をかけられて。「リキッドルームってこんなに小さかったっけ、と思ったんです」と答えたら、厳しかった本田さんに「それだけアーティストが大きくなったってことですよ」と言われて、その場でブワーッと涙が出てきちゃって。その後に「今日、一番最初に入ってきてくれるお客さんの顔を絶対覚えておこう」と思って、開場の瞬間、エントランスにバーっと走っていったんです。そうしたら最初に入ってきたのは、でっかい花束を抱えたDJ YANATAKEだった。その時の、ニコニコしながら「おめでと~!」って言っているYANATAKEの顔も忘れられないし、あの日は本当に色々とうれしかったんですよね。

ーこの仕事をずっと続けられてこられた際に、大事にしていたマイ・ルールみたいなものはありますか?

岡田 意外と真面目なので、丁寧に仕事をする、ということですかね。突き詰めれば、クオリティを上げるということになると思います。やっぱり、音源ってずっと残るものですし、絶対に丁寧に作ったほうがいい。ライブも、ちゃんと丁寧に。あくまでも、お客さんはお金を払ってライブを観に来てるわけですし、アーティストはそこからギャラをもらうわけですよね。だから、ちゃんとしたものを観せなきゃいけないし、聴かせなきゃいけないと思う。もちろん、感覚的なものは大事にしつつも、“丁寧にやる”ということができていない人が結構多いんじゃないかな。

ーずっとこの業界で仕事を続けてこられた、一番の理由はなんですか?

岡田 最初はヒップホップが好きで、「私にもできることは何か」ということを考えた時に、表に立って人前で何かをする、というのが苦手だったので、「裏方だ」ということで入っていった。日本においては、まだまだ新しいジャンルだったので、「アーティストと一緒にヒップホップを作っていく感」がすごく楽しくて。結果、A&R業もすごく好きだなと感じるようになりましたね。正直「ヒップホップに疲れる」というような瞬間もありました。見ているところは同じはずなのにしがらみや派閥でぶつかったり、USの流行りに振り回されて本来ヒップホップにあるべき自由度を失っているなと感じたりしたときとか。でもやっぱり、作ることってものすごく楽しい。しかも、それがクラシックとして長く聴いてもらえるとなったときに、大きな達成感がありますよね。それと並行して、ライブで生でお客さんが楽しんでいるのを見ると、もうやめられないです。その繰り返しで、今まで来たという感じです。



Photo by Mitsuru Nishimura

岡田麻起子
東京都生まれ。高校生の時にヒップホップと出会い、大学卒業後メジャーレーベルに数カ月在籍するも、A&Rを目指しFILE RECORDSに入社。トータル20年弱在籍したFILE退社後はレーベルやプロダクションでのサポート等で、約30年A&Rとして活動。近年はSpinna B-ILL、BAD HOPのアルバム制作のサポート業務に携わっていた。

【関連記事】ヒップホップ・カルチャーを担う女性たち「Akira Fukuoka」


RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE