ヒップホップ・カルチャーを担う女性たち「Makiko Okada」

ヒップホップとメジャーレーベルとの関係性

ーMICROPHONE PAGERがFILE RECORDSから1stアルバム『DON’T TURN OFF YOUR LIGHT』を発表したのが1995年ですが、その当時、どういったアプローチを行なっていたのでしょうか。日本におけるヒップホップのマーケットも、今に比べると未成熟な部分もあったのではと思うのですが。

岡田 「売れないわけがない」と思っていたんですよ。「この良さを分かんないヤツの方がイケてない」っていうか。アーティストも、「ヒップホップは売れてないから」と言いながらも、どこかにそういう意識があったんじゃないかと思います。勝手にみんなで「売れたらさ~」って話しながら、将来の絵図を描いていたこともあったし。今にして思えば、卑屈なことを言いつつも誇りを持っているという感じでしたね。自分たちが最先端なんだっていう意識もあったと思います。



ー「日本のヒップホップが上を向いてるな?」と、追い風を感じる瞬間はありましたか?

岡田 90年代半ばくらいまではなかったかな。細かく言えば、MUROの12インチが、その当時では破格の枚数が売れたというレベルの反響はありました。流れが変わったと感じたのは96年くらい。EAST END×YURIの「DA.YO.NE.」(1994年)が売れて、世間がラップというものに抵抗を感じなくなったあたりが手応えといえば手応えかもしれません。同時に、メジャーレーベルが(ヒップホップに)手を出してきたな、という印象はありましたね。

ー少し話が飛躍してしまうのですが、岡田さんはFILE RECORDSを離れた後も、一貫してインディペンデントのアーティストを支えてきたという印象です。メジャーレーベルと契約する若いヒップホップ・アーティストもどんどん増えていますが、ヒップホップとメジャーレーベルとの関係性をどのように捉えていますか?

岡田 昔は、正直言ってメジャーの資本を使わないとそこまで出来なかったという状況でもあったと思うんです。「我慢はするけど、言いたいことは言う。むしろ利用すればいいや、なおかつ、最終的に納得する形に落とし込めれば」と思っていました。今は「メジャーに行くメリットって何だろう?」と思うところもあって。TuneCoreを使って配信すれば、しっかり(利益が)入ってくるし、原盤権を渡すこともしなくていいですから。

ーメジャー/インディ問わず、ヒップホップのアーティストを支える裏方も不足しているのかなと感じることもあります。

岡田 裏方がいないのは永遠の課題なのかなと思いますね。そこは、30年前から変わっていないと思います。アーティストのなかには社会性が乏しかったりする人もいるけど、「次も仕事したい」と思わせるに越したことはない。そこをフォローできるのは裏方しかないわけで。本当は、私たちが裏方を育てていかねばならかったと思うんですが、振り返ってみるとそんな余裕もなくて。「自分でやった方が早い」とか、教えると言うよりは「見ながら覚えろよ」みたいなスタンスだったんですよね。ただ、FILE RECORDSでいうと、Jazzy Sportを立ち上げた小林雅也やSUMMITを立ち上げた増田岳哉みたいに、レーベルを立ち上げた仲間たちもいて。そう考えると、FILEには優秀なA&Rが多かったのかなと思います。

ー90年代初期から日本のヒップホップ業界にいて、何度かヒップホップのバブルというか大きな流行りの波を感じて来られたのではと思います。「これは一番デカい波が来たな」と思ったのはいつですか?

岡田 すごく個人的だけど、2018年にBAD HOPが単独で武道館公演を成功させた時ですかね。20歳そこそこの若者たちが、大人の力を使わずに武道館をあれだけの形に仕上げるというのは、やっぱりそうそう出来ることではないですし、ましてや彼らの生きてきた環境を鑑みると、「本当に情熱だけでここまで来たな」という事実を見せつけられましたよね。結構、ショッキングでした。



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