Dirty Hit新鋭サヤ・グレーが語る、白人でも日本人でもない「はぐれ者」という感覚

サヤ・グレー(Photo by Kazushi Toyota)

 
カナダと日本にルーツをもつシンガーソングライター、サヤ・グレー(Saya Gray)の来日インタビューが実現。The 1975、リナ・サワヤマ、ビーバドゥービーなどを擁するDirty Hitからデビューアルバム『19 MASTERS』をリリースした彼女が、これまでの人生を語る。

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分断が深まるばかりの2022年。不寛容な社会を生きるサウンドトラックとして、自分がもっとも愛聴したのがサヤ・グレーの『19 MASTERS』だった。パーソナルな表現を突き詰め、ありがちな音楽観を拒絶するように混沌とした19曲の掌編集は、グランジーなベッドルーム・ポップの変異種にも、アニマル・コレクティヴやジョアンナ・ニューサムに象徴されるフリーク・フォークの再来にも聞こえる(年間ベスト2位に選んだ米タイム誌は「フランク・オーシャンの『Blonde』を受け継ぐにふさわしい傑作」と絶賛)。こわれものみたいな歌とサウンドには孤独感が滲み、社会の隙間からこぼれ落ちた「どこにも属せない」人々に寄り添う。二元論では割り切れない繊細な感情がここでは描かれている。

サヤ・グレーは1995年、トロント生まれ。アレサ・フランクリンやエラ・フィッツジェラルドとも共演してきたカナダ人トランペット奏者/作曲家/エンジニアのチャーリー・グレイを父に、日本人でありながらカナダの音楽学校「Discovery Through the Arts」を設立したマドカ・ムラタを母にもつ音楽一家に育ち、幼い頃から兄のルシアン・グレイと一緒にさまざまな楽器を習得していった。10代の頃にバンド活動を始め、ジャマイカのペンテコステ教会でセッションに明け暮れたのち、ベーシストとして世界中をツアーで回るようになり、ダニエル・シーザーやウィロー・スミスの音楽監督も務めている。

しかし、華々しい経歴の裏ではミックスルーツの女性として差別され、音楽業界における搾取と抑圧のシステムに苦しみ、度重なるツアーによって精神的危機に直面してきた。そういった負の経験も『19 MASTERS』には反映されているという。白眉のラスト曲「IF THERE’S NO SEAT IN THE SKY (WILL YOU FORGIVE ME???) 」で、“こんなに誤解されていると感じたことはない”と彼女は歌う。このアルバムは彼女にとって、「自分の世界」を守るための戦いでもある。



Dirty Hitのオーナー、ジェイミー・オボーンに取材したとき「僕が好きなアーティストはみんな何かしらのアウトサイダーだ」と語っていた。このあとのインタビューで、サヤが自分を「はぐれ者」と形容するのを聞いて、「そういう才能はいつだって、社会の主流から取り残された人たちの代弁者として世に出てくるものだから」というジェイミーの言葉が思い浮かんだ。

アニエスベーの企画出演のために来日したサヤは、Dirty Hit特集を行った「Rolling Stone Japan vol.20」を興味深そうにめくり、WONKのページに目を留めていた。彼らについて説明すると、millennium paradeと常田大希がお気に入りで、日本のカルチャーにも大きな影響を受けているとのこと。まさかこのタイミングで取材できるとは思わなかった。ぜひこの機会に、彼女の世界へと足を踏み入れてほしい。


Photo by Kazushi Toyota


ホームと呼べる場所がなかった

—日本にはよくいらっしゃるんですか?

サヤ:前回の来日は、2019年に開催されたフジロックですね。ダニエル・シーザーのパフォーマンスにベーシストとして参加したんです。(日本を訪れるのは)2年に1回くらいの頻度かな。観光で来たこともあります。


2018年、ダニエル・シーザーのバンドでベースを弾くサヤ・グレー

—初めて来日したのは?

サヤ:たしか、4歳のときですね。父が(CDのプロデュースも手がけた)オペラ歌手の本宮寛子のツアーに同行していたので、そのタイミングで来ました。

—お母さんは静岡のご出身とのことですが、どんな人生を歩まれてきたのでしょう?

サヤ:彼女はトロントでさまざまな仕事をしてきたみたいです。当時、カナダには多くの日本人移民がいて、そういった人々に対する差別があった。母もその一人で、辛い日々を過ごしたようです。でも、彼女はそんな状況にも負けなかった。おそらくトロントで一番大きな音楽学校を設立したんです。

そういうわけで、その学校が私の家でした。父の仕事の関係もあると思うけど、本当に音楽で溢れていたんです。そこでは祖母も一緒に暮らしていたんですが、私は白人コミュニティのなかで、日本的なカルチャーのもとで育てられました。移民のファーストジェネレーションという理由で私も差別を受けたんですが、2つの交差するカルチャーの中で育ったことはちょっと不思議な経験だったと思いますね。

—そういった生い立ちは、自分が今作っている音楽にも反映されていると思いますか。

サヤ:ええ、そう思います。私にとって、音楽は幼少期の経験と強く結びついているので。トロントにある、孤立した小さな日本コミュニティの中で生きること——おそらく私の母も経験したと思いますが、そこでの日々は他人に埋めることのできない孤独を含んでいる。私にはそういった、自分の存在がどこか「はぐれ者」のような感覚があるんです。


Photo by Kazushi Toyota

—その後はミュージシャンとして、放浪の日々を過ごしていたそうですね。

サヤ:そうですね、7年間くらい。17〜18歳の頃はLAとロンドンにいたんですけど、そこからはツアーで世界中を回ってきました。1年のうち11カ月くらい。だから遊牧民みたいにいろんなところに移り住んできたんです。今回のアルバムにもツアー中に制作した曲が収録されていますが、そのときは十分な機材がなかったからPCとボイスメモだけで制作して、ボーカルもiPhoneで録音しました。

私には長い間、ホームと呼べるような場所がなかった。だから自分の内面にそういう場所を確保する必要があったんです。今はトロントに自分の家があるんですけど、そういった場所をリアルに持つことが新鮮というか。私にとっては新しい経験だし、ちょっとクレイジーな感じもする(笑)。

Translated by Miho Haraguchi, Natsumi Ueda

 
 
 
 

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