田中宗一郎が語る、拡張するダンス音楽

パンデミック以降の新たな胎動が密かに始まっている日本

ー日本に目を向けると、どのようなことが言えますか?

田中 日本のアンダーグラウンドでは80年代後半にハウスが、90年代半ばにテクノが広まりました。特に90年代後半の東京では、多くの人たちにとってクラブミュージックのゲートウェイとなった新宿リキッドルームや青山マニアックラブが一時代を築きました。ベルリンやロンドンと並んで東京という街がもっとも重要なダンスミュージックの発信地でもあり、受け皿でもあった時代ですね。そう言えば、つい最近、HBOとWOWOWが共同制作したTVシリーズ『TOKYO VICE』を見たんです。この作品は99年の東京を舞台にしていて、当時の東京の景観や建築物の内装、文化を見事に映像的に再現している。クラブのシーンが何度か出てくるんですが、ひとつは当時のテクノ・クラブ。そこにR&Sからリリースしていたカプリコーンの「20Hz」や、ライブバンドとしても一時代を築いたフェイスレスの「Insomnia」が流れるんですよ。もうひとつは当時の六本木周辺にたくさん存在したパラパラのクラブ。どちらのシーンでも、音楽だけでなくフロアで踊っているクラウドのファッションやダンスマナーもかなり的確に再現していて、思わず嬉しくなっちゃったんですね。

ーなるほど(笑)。

田中 話を元に戻すと、それ以降の日本のクラブシーンは二度の風営法の施行によって、否応なしに変容せざるを得なくなります。2000年代初頭には新木場ageHa、2010年代初頭には渋谷Sound Museum Visionなどビッグルームのクラブが生まれた。と同時に、かつては音箱と呼ばれたDIY資本の小さなクラブは全国的に封鎖されたり、経営が苦しくなっていきます。となると、札幌、新潟、仙台、名古屋、大阪、広島といった中規模の街には存在した、それぞれのローカル色も希薄になっていくわけです。また、東京都内では、2000年代から2010年代初頭にインターネットを中心に活躍していたMaltine Records周辺のネット系プロデューサーたちがほぼウェアハウス状態だった新宿のキャバレーや、秋葉原のMOGRAのような場所でフィジカルな現場を作っていく流れもありました。やはり法規制や、それに関連したヴェニューの変遷がそこで鳴る音楽の方向性に確実に影響するんですね。

ーその後はパンデミックが起こり、オリンピック開催を念頭に置いた都市の再開発が進む中で、今年の夏の終わりには東京のクラブシーンのひとつの軸だったageHa、Vision、Contactが閉鎖します。ageHa/studio coastは横浜に移転し、横浜coastとして復活することにはなるようですが。

田中 フィジカルな現場の変容はまず間違いなくダンス音楽というカルチャーに大きな影響を及ぼします。パンデミック以降、自分はパーティをオーガナイズすることはほぼ諦めていたんですが、折を見て100人くらいの小箱には足を運んだり、Instagram経由で覗き見してもいたんですね。で、やっぱりどこの現場も抜群に面白かった。特に、新世代のラッパーたちと、荒々しいベースミュージック、ディープでトライバルなテクノ、サイケデリック寄りの荒削りなロックバンドが共存していたり、パンデミック以前なら絶対になかっただろうクロスオーバー感があり、共通項としてのダンスビートがある。パンデミック以降、あえてクローズドな形で開催する野外のレイブパーティがいくつも生まれたりもしている。大きな現場が奪われたことにより、今、ローカルコミュニティに根差したシーンがもう一度生まれつつあるという興奮が間違いなくあります。

ーむしろアンダーグラウンドでは新たな胎動が感じられると。一方、この6月には日本のラッパーたちを中心にブックした大規模なイベント――POP YOURSも行われました。

田中 なかなか現場を作ることがかなわなかったパンデミックの間に、ストリーミングサービスを通して国内のラップシーンがしっかりと拡大し、新たな世代のオーディエンスを育んだことを証明する二日間だったんじゃないかな。おそらく生まれて初めて行った現場がPOP YOURSだった新しい世代も確実にいたはずです。ここからどう発展していくかはわかりませんが、いろんな規模のいろんな現場で新たな萌芽が芽生えていることだけは間違いないと思います。

ーそんな中で、今注目してほしいダンスミュージックのプロデューサーの名前を挙げることは出来ますか?

田中 都内のアンダーグラウンドでは20代後半の面白いDJやプロデューサーが何人も頭角をあらわしつつあるという話も聞いてはいるんですが、僕が具体的な名前を挙げるとすると、ずっと作品もリリースし続けていて、もはやしっかりと名前が通っている2000年代から2010年代初頭に出てきたプロデューサーたちになってしまうかもしれません。Seiho、Chaki Zulu、食品まつりといった人たちの作品や動向にはずっと刺激と興奮をもらっています。そもそもSeihoは前衛的な音楽を作るプロデューサーで、彼が作る音楽の一要素としてダンスビートがあるというタイプと言えるかもしれません。Chaki Zuluは、トラップであろうがダンスホールであろうが、どんな最新型のビートも日本にローカライズした形で作ってしまえる。彼のビートには日本固有のエスニシティがしっかり刻印されていて、それは当初、彼が頭角を現したニューエレクトロ時代からずっと一貫した彼自身のシグネチャーだと思います。しかも、ラッパーたち個々のアイデンティティにきちんと寄り添ったサウンドが作れる、文字通り理想的なプロデューサーです。食品まつりの場合、もはや海外でもきちんとした認知と評価を獲得しているので、いまさら僕に言えるようなことはないんですが、常にサウンドを進化させていくことに軸がある。彼が先輩格にあたる中原昌也と一緒に作品を作ったりしているのもいいですよね。彼ら全員に言えることですが、いまやプロデューサーはひとつのジャンルのプロダクションを担う存在ではなくなっています。自らの興味と好奇心の赴くまま、どんなビートであろうが作ることができる。しかも、世代を超えた縦の繋がりがいくつも生まれている。今は本当に百花繚乱の状況に突入していると思いますね。








食品まつり a.k.a foodman

ーその状況自体が面白いということですね。

田中 面白い。いろんな現場、いろんな規模でそれぞれに刺激的な変化が生まれているという実感があります。サマーソニックやPOP YOURSのような大きな現場、100人規模の小さなライブハウスやクラブの現場、あるいは200、300人規模のレイブ――どんな現場にも新たなクロスオーバーが巻き起こっている。なので、特定のプロデューサーに注目するというよりは、刺激的なクロスオーバーが起きている状況そのものや、これからそれがどのように発展していくかを見据えながら楽しむのが一番だという気がしています。

ーとにかくいろんな現場に足を運んで体験してみるのが面白いんじゃないかと。

田中 国際的にはこんな時勢ではあるけれども、今年の夏以降いろんなことが少しずつ面白くなるといいですよね。

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