6月8日、シンガーソングライター・Haruyが1st EP『MAO』をリリースした。本作は、昨年10月に急逝したSuchmosのベーシスト・HSUこと小杉隼太がプロデュースを手掛け、Haruyとコライトした5曲が収録されている。それらは心が震える楽曲ばかりだ。Suchmosをデビューの頃から取材してきた筆者は、Haruyに話を聞きたいとインタビューを申し込んだ。この素晴らしい歌声と感性を持つシンガーソングライターが何を考えているのかを探ってみたいと同時に、Haruyの話を通して、HSUが最期に何を想っていたのか、プロデュースワークでどんな音楽を作ろうとしていたのかを知りたいと思ったから。
Haruyはゆっくりと、HSUとのエピソードを一つひとつ聞かせてくれた。このロングインタビューは、HaruyとHSUの思い出と、Haruyが見たHSUの生き様を記録する貴重なテキストだ。HaruyはHSUの音楽家としての遺伝子を、(Suchmosのメンバーを除くと)最も濃く継いでいるアーティストだと言っていいと思う。そんな彼女が今後も自身の多彩なアート感覚を紡ぎながら作品を生み出してくれることは、ただただ希望に満ち溢れている。
HSU(Photo by Ken Oshima)—今日は、学校帰りですか?Haruy:そうです。映画学科に通っていて。映画を撮りはしないんですけど、映画の批評とかビジネスの勉強をしています。
―そうなんですね。でも映画よりも音楽をやろうと?Haruy:そうですね。本当は、今大学4年なんですけど、2年生くらいまでは普通に就職しようと思っていたので。隼太さんとお会いできたところからです。
Haruy(Photo by Kisshomaru Shimamura)―隼太さんと出会ったのはいつ頃ですか? もともとやっていたバンド・Tastyが解散を発表したのが去年10月でしたよね。Haruy:本当はバンドとソロを同時進行しようと思っていたんですよ。バンドと並行してソロをやりたいとずっと思っていたので。だけどバンドがなくなったから、ソロにギアを入れようって。最初に話をもらったのが去年の4月くらいで、嬉しいというか、「隼太さんとできるのか!」ってびっくりでした。
―HaruyさんにとってSuchmosはどんな存在ですか?Haruy:横浜スタジアムのライブにも行きましたし、渋谷のタワレコの地下であったレコ発ライブにも行きました。もともと母親が好きで。浜スタも母と一緒に行きましたし、タワレコのライブは、母が買ったCDの特典としてチケットが付いてきたけど母が仕事で行けなかったから、私が学校帰りに制服姿のまま見に行った記憶があります。
―当時Haruyさんは高校生? 中学生?Haruy:中学3年生くらいだったかもしれないですね。
―当時、Suchmosにどんな魅力を感じていましたか?Haruy:渋谷でライブを見た頃、私はまだバンドをやってなくてアコギの弾き語りをやっていたので、YONCEさんの歌にフォーカスしてました。しかも私、背が低くて、みなさんの姿が全然見えなくて(笑)、YONCEさんがチラチラ見えるくらいだったんです。なので、YONCEさんの歌い方とか魅せ方を見てました。
―Haruyさんが最初に買った楽器はベースで、浜スタのライブの頃にはTastyでベース&ボーカルをされていましたよね。そのときは同じベーシストとしてHSUさんをどう見てました?Haruy:いやあ、なんだろう……もう、一緒に制作してるときもそうですけど、すごすぎて。自分と比較にも及ばないというか。どうやって弾いているのかわからない、本当に才能のある人だと思ってました。隼太さんの音作りもめちゃくちゃ好きで。ズンって重いんだけど、クッて軽くなるところとか、その強弱や緩急はやっぱりセンスや感覚がすごいなと思ってました。