死と崩壊が支配するハリコフから逃れる、ひとりのアメリカ人ジャーナリスト

ハリコフ郊外で見た現実

戦時下では、我が身の安全を最優先させることはごく自然なことだ。車を飛ばしてハリコフの街から遠ざかるにつれて、爆発音は聞こえなくなった。だが、安堵感を抱くことはできなかった。この4日間は、私の人生でもっとも緊張感に満ちた期間だった。たとえるならば、恐怖という拘束衣を着せられて身動きがとれない状態だ。道中でいくつかの検問所を通過した。兵士たちは防御体勢をとり、市民たちは塹壕づくりを手伝っていた。道路は、泥の塊のせいで頻繁に遮断された。舗装が盛り上がってしまった高速道路を横断しようと、通れる場所を求めて近隣の畑を突っ切ったキャタピラから飛んできたのだ。一般の志願者からなる民兵たちを乗せた、不揃いの普通車の巨大な隊列が数百メートルにわたって高速道路に伸びていた。古びたブーツを履いた人もいれば、スニーカーを履いた人もいる。ラーダ、フォルクスワーゲン、シトロエン……どの車もオンボロだ。ウクライナ政府の訴えに対する富裕層の反応は鈍いようだ。

誰もが神経過敏になっていた。ハリコフ郊外の打ち捨てられたガソリンスタンドで、私たちの一団の車が一時的に民兵から銃口を突きつけられた。タンクが空であることを示すサインボードを撮影したからだ。だが、徐々に危険は去っていった。渋滞も解消された。New Moscowという町では、正常に機能している清潔なガソリンスタンドに立ち寄った。棚にはキャンディーやコーヒーが並び、タンクは満タンでしっかり稼働していた。私は、クマの形をしたグミ、チョコレートバー、カロリーゼロのコーラを買い、人懐っこい数匹の野良犬たちと写真を撮った。私たちが後にした場所では、人命が失われようとしていた。

ウクライナ侵攻が始まってからの4日間、ロシア軍はウクライナ第2の都市ハリコフ郊外を攻撃しつづけてきた。ミサイルやロケット弾の音は、はやくも日常の一部となってしまった。街の中心部も例外ではない。だが、28日の朝に暴力行為はエスカレートした。数日前にウクライナ軍がロシア軍を撃退した場所にほど近いSaltivkaという地区は、少なくとも3回にわたってロシア軍によるMLRS(多連装ロケットシステム)攻撃を受けた。ロケット弾は、高速道路沿いに掘られた塹壕の中の兵士たちには命中しなかったものの、民間の建物に着弾した。地元当局の報道によると、11名が命を落とした。その中には、車の中で生きながら焼かれた5人家族も含まれる。

Translated by Shoko Natori

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