ブルー・ラブ・ビーツ、UKジャズ新世代が明かす生演奏×ビートメイクの新たな可能性

 
BLMの学生時代、音楽的ルーツ

―まず、ふたりが出会ったWac Arts Collegeについて教えてください。

Mr DM:1978年にCelia Greenwoodがロンドンに設立した学校で、コートニー・パイン、スティーヴ・ウィリアムソン、ジュリアン・ジョセフ、ミス・ダイナマイトら著名人を多数を輩出している。音楽でも歌もあれば作曲もある。映像もダンスもあって、いろんなアートに興味のある人たちがファミリーみたいに学べる雰囲気がある場所だね。

NK-OK:アートを学ぶ場所はかなり高額な学費が必要になることが多い。でも、Wac Arts Collegeでは音楽に限らず、映像や演劇などを安い学費で学ぶことができる。通常なら2時間で40〜60ポンドはかかるレッスンがたった2ポンド。ここは歴史のある学校なんだけど、ずっと授業料を変えていないんだ。僕らはここで学んでいる頃に出会った。当時、ランチ・ホールでビートを作っていたら、デヴィッド(Mr DM)が「何やってんの?」って話しかけてきて、そこで意気投合して、一緒に演奏するようになったんだよね。

Mr DM:僕はライブ・ミュージックをやっていたんだけど、ここで印象深かったのは譜面を使わずに耳で聴いて覚える授業。耳で覚えてから、みんなで一緒に演奏をするんだ。そうやってすごくオーガニックなやり方で音楽を学ぶことができたと思う。

NK-OK:僕はミュージック・プロダクション。いろんなクラスがあって、ドラマ、ダンス、舞台演出とかいろんなものが学べる。いろんな人がいろんなことを学んでいる状況が一か所に集まっているというのは、常に何かしらのインスピレーションがあるということだから。


Wac Arts Collegeの紹介映像

―Mr DMはその後、ミドルセックス大学へ進学し、ジャズを学んでいます。

Mr DM:大学ではしっかり譜面を学ぶことにフォーカスしていったと思う。ジャズのスタンダードをかなり勉強したし、作曲に関しても深く学んだ。ホーン・プレイヤーを加えた編成のために曲を書いたりもしたし、ビバップ、ハードバップ、モーダルジャズ、様々なスタイルの曲を書いたのは良かったと思う。


オーセンティックなジャズ・トリオで、ピアノを演奏するMr DM

―Mr DMはマルチプレイヤーですが、そもそも大学の頃のメインの楽器は?

Mr DM:1年目はエレクトリック・ベース。2年目がヴィブラフォン。3年目以降はいろんな楽器に手を出した。大学の外ではそういった様々な楽器を使ってギグをやっていたよ。

―ヴィブラフォンだったら打楽器科のドラマーが並行して演奏したりとか、ベースとギターなら同じ弦楽器だから弾きやすいとか、複数の楽器をやる場合はやりやすい組み合わせがあると思うんですけど、Mr DMの場合はバラバラだったんですね。

Mr DM:大学で選んだ楽器の前に、僕は3歳の時、最初の楽器としてドラムを始めて、その後にキーボードを弾くようになった。そこからエレクトリック・ベースをやって、ヴィブラフォンを選んだ。だから自然な選択だよね。

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Mr DMとジェイコブ・コリアー。ふたりは2005年、同じロンドン・ミルヒルの高校に通っていた。

―その頃、NK-OKはどんな活動をしていたのでしょう。

NK-OK:僕は15歳の時にはすでに(レーベルと)契約していたからね。最初に通ってた学校はあまりいい学校じゃなくて途中で行かなくなったんだけど、父のクワメ・クワテンがミュージシャンだったので(アシッドジャズの名ユニット、D・インフルエンスのメンバー)、 11歳のころからホームスクーリングで音楽を学ぶことができた。

最初は「eJay Hip Hop 5」ってアプリをダウンロードしたんだけど、トライアル版だったから20点くらいしかサンプルが入ってなくて、それを切ったり貼ったりしまくってなんとかトラックを作っていた。僕のエディットの基盤はそこで身についたものだね。その後でGarageBandを使うようになり、Logicにも手を出したという流れ。そんなことを2年やってて、高校に進学する年になって、GCSE(中等教育修了証明書)を取得するくらいの頃に、父親から「この先も音楽をやって食っていきたいんだったら、それができることを自分で証明しなさい」って言われてね。それでトラックを作って、契約を勝ち取って、ミュージシャンになったという感じ。

ちなみに今、ビートを作るのに使っているのはNative Instruments社のMASCHINE MK3のオレンジ・エディション。ライブのときはAbletonを使っているけど、これはまだ発展途上って感じ。ビートを作るときはLogicを使ってる。

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(左)2011年、ビートメイクを始めた頃のNK-OK (右)2015年、BLBがパブリック・エネミーのサポートを務めた際のNK-OK

―NK-OKが影響を受けたプロデューサーについて教えてください。

NK-OK:ヒップホップでいうと、まず最初に挙げるべきはピート・ロック。DJプレミアからも同じくらい影響を受けている。あとはミッシー・エリオット。彼女はアーティストとしてはもちろんだし、プロデューサーとしても素晴らしい才能を持っていた。後者については過小評価されていると思う。ティンバランドとのコンビが有名だけど、むしろティンバランドの良さを引き出したのがミッシーじゃないかって僕は考えているくらい。

それから、パトリース・ラッシェン。ヴォーカリストやキーボード奏者としての彼女についてはよく知られているけど、コンポーザーとしての側面ももっと知られていいと思う。彼女の作曲面からの影響は大きいね。あとはもちろん、クインシー・ジョーンズも。実は以前、バックステージで会って話をさせてもらう機会があった。あれは信じられない経験だったね。



―今挙がったのはアメリカ人ばかりでしたが、イギリスの音楽に関してはどうですか?

NK-OK:もちろん影響を受けている。ヒップホップにのめり込む前、僕はグライムに夢中だったからね。音楽業界に入るきっかけを作ってくれたのはグライムだったと言える。Kano、Ghettsなど、本当にたくさんのUKラップ・ミュージックを聴いていた。だから、自分のなかにグライムを始めとしたUKサウンドの影響が大きくあるのは間違いない。




―Mr DMはどんな演奏家や作曲家から影響を受けてきたんですか?

Mr DM:自分に最も大きな影響を与えたのは、1982年にパトリース・ラッシェンがリリースした『Straight From The Heart』。これが不動のナンバーワン。特に収録曲の「Forget Me Not」は僕にとってのベスト。ウィル・スミスの映画『メン・イン・ブラック』でサンプリングされているのでずっと前から聴いていたけど、元ネタがパトリース・ラッシェンと知って聞き返したら、あまりにすばらしくて一瞬で魅了された。それにオスカー・ピーターソン。『Piano Moods』(ベスト盤)で好きになって、そこからいろいろ聴いたら『Night Train』がベストだなって思った。そのふたりがトップ2だね。

あとは、16歳の頃にラジオから流れてきたドン・ブラックマンにも一瞬でぶっ飛ばされた。そして、バーナード・ライトが1981年にリリースした『Nard』。彼が16歳の時にプロデュースしたアルバムで、誰もあんなの作れないと思う。信じられない作品だね。




Translated by Takako Sato

 
 
 
 

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