日本最初のバンドブームとなったGS仕掛け人・本城和治とともに振り返る



田家:19676月発売、ザ・カーナビーツのデビュー曲「好きさ好きさ好きさ」。イギリスのバンド、ゾンビーズのカバーで、ドラムのアイ高野さんがドラムを叩きながら歌い叫ぶ。スティックを客席の方に突き出して叫ぶあのアクションで大ヒットしました。あのアクションはどこから生まれたんですか?

本城:アイくんのアイディアだと思うんですけどね。

田家:この訳詞は漣健児さんなんですね。カバーポップスの生みの親。

本城:そうですね。私はいなかったんですけど、彼らのオーディションの話が事務所からあって、ビクターのスタジオでやったんですよ。私はその頃海外のスタジオにいたもので、立ち会えなかったんです。その時に漣健児さん、シンコーミュージックの専務・草野晶一さんですが、彼が立ち会ってね。その場でこれ面白いな、ちょっと日本語にしようって言って。その時に完成したのかはわかりませんが、後に本番でレコーディングした時にその歌詞を使ったんですね。

田家:ちなみにその海外の仕事というのは?

本城:結局世界中を回っちゃったんですけど、最初はロンドンでウォーカー・ブラザーズの取材をしたり、あとはスイスのモントルーでフィリップスのコンベンションがあって。世界のコンベンションで森山良子に着物を着せて「この広い野原いっぱい」を歌わせました。その時にヴィッキー(・レアンドロス)も同じコンベンションにいて「恋はみずいろ」を披露して、森山良子と仲良くなって。それで帰ってきてから、森山良子は「恋はみずいろ」をカバーしてレコーディングしたんです。その後はアメリカのニューヨークに行ってレコード会社を訪問したり、ザ・ジャガーズの「君に会いたい」の作詞者に会ったりもしました。

田家:え! 清川正一さん? そこで会ってるんですか? この話は後に詳しくお伺いしましょう。ザ・カーナビーツをカバー曲でデビューさせようというのは本城さんの案だったというお話がありましたけれども。

本城:というか、オーディションでやった時にこの曲が最高だったんで。オリジナルもあったんですけど拙い曲だったのと、カバー曲が多かったので。一番フックのあるこの曲でデビューだ、こんな能天気な曲を演奏をできるグループは他にいなかったんです。

田家:ここでザ・カーナビーツの曲をもう一曲お聞きください。19679月発売「恋をしようよジェニー」。

Rolling Stone Japan 編集部

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