歴史の転換点となったBlack Lives Matter、創始者が語る「人種差別抗議」の真意

ジョージ・フロイド死後の6月初旬、ブルックリン橋を渡るデモ隊の行進。(Photo by Anthony Geathers for Rolling Stone)


BLMが発足した2013年、その背景

7年前の7月、トレイヴォン・マーティンの殺害に関してジョージ・ジマーマンが無罪となった件にアリシア・ガーザが反応した。彼女は、ネットで広まることになるFacebookへのポストで、自身の痛みを表現してこう綴った。

「黒人の人たちへ。私は、あなたたちを愛しています。私たちを愛しています。私たちの命は大切です。黒人の命は大切です(Our Lives Matter, Black Lives Matter)」

「予想外の反響を呼びました」とガーザは語ってくれた。「私たちは黒人の死を四六時中目にしていましたし、それがどういうわけだったのかわかっていないのですが、帰宅したあと、真夜中に泣きながら目を覚ましたのを覚えています。それで自分の電話を手にとってタイプしはじめたわけです」。ガーザは現在、Black Futures Labの主導者として投票者に働きかけ、黒人国勢調査を制作している。

南カリフォルニアのアクティヴィストでガーザと親しいパトリス・カラーズは、件のポストを見て#blacklivesmatterというハッシュタグを付け加えた。ニューヨーク・シティで移民たちのコミュニティ・オーガナイザーを務めるオパール・トメティがジマーマンの判決を知ったのは、ライアン・クーグラーの映画『フルートベール駅で』の上映会をあとにしたときだった。2009年、警察によるオスカー・グラント3世の射殺事件を描いた作品だ。気持ちがすでに昂ぶっていたなか、トメティは話題となっていたガーザのポストを読んだというのだ。


2013年7月13日、ガーザとカラーズのFacebook投稿。(画像出典元:Elin Jernstrom’s Webpage)

「あれは衝撃でした」とトメティは語る。「(世間には)多くの怒り、多くの痛み、多くのシニシズムが溢れていました。しかし、彼女のポストは私と共振したのです。その理由はたくさんあります。それがはっきりと黒人の立場からのものであったから、愛に根ざしたメッセージであったから、そしてとても希望に満ちたものに感じられたからだと思います」

翌日までに、トメティは同輩のオーガナイザーであるガーザに連絡をとった。トメティはBlack Organizing for Leadership and Dignity Network(黒人のリーダーシップ開発によって社会変革を促す非営利団体)を通じてガーザを知っていたのだ。トメティはまだカラーズと会ったことはなかったが、すぐにこの3人は協力しあい、ブラック・ライヴズ・マター・グローバル・ネットワークを立ち上げた。

「パトリスと私は、国家による暴力を整理するプロジェクトの立ち上げについて話し始めました」。グローバル・ネットワークの創立について、ガーザはこのように語る。「パトリスは当時、Dignity and Power Now(黒人収監者の尊厳と権利を訴えるLAの団体)という彼女自身の仕事にとりかかっていました。それがちょうど軌道に乗りだしたところだったのです。この活動に関するすべてが、いわばシナジーを生みました。私の知っているベイエリアのデザイナーやアーティストで熱心に協力したがっている人たちが連絡をくれて、こう言うんです。『私たちには何ができる?』と。この運動のはじまりは、まさにこんな感じでした」


本記事が掲載された、米ローリングストーン誌2020年7月号の表紙イラスト(Illustration by Kadir Nelson for Rolling Stone)

ガーザによると、当初BLMは彼女のフルタイムの仕事ではなかったという。しかし、マイケル・ブラウン・ジュニアが警察官のダレン・ウィルソンによって2014年に射殺されると、ミズーリ州ファーガソンへと向けたフリーダム・ライドが行われた。カラーズは、共同オーガナイザーのダーネル・L・ムーアと共に同年9月のガーディアン紙に寄稿し、1960年代初頭に人種隔離政策下のアメリカ南部で行われたフリーダム・ライドの精神(黒人と白人の有志グループが長距離バスに乗り込み、人種による座席の区別に抗った)にならって40人の他人と共にバスに乗り込んだ取り組みを、このように表現した。いわく、それは「反黒人感情の暴力に直面したファーガソンの住民たちと、国中から集まって彼らに加わった私たちとが下した自己決定の具体例」だった。

「私はおそらく、自分たち3人のなかでも『さあ行こう、でっかくなろう、みんなを巻き込もう』みたいな感じの人でした。必ずしも組織の構造について考えてはいなかったのです」。カラーズは今日こう振り返る。「私が主に考えていたのは、人々が参加することができ、そうすることでアイデンティティを感じられるような大衆運動を築くことについて。私が関心を持っていたのは、周縁化され暴力に晒されてきた黒人や貧しい人々に、より多くの可視化の機会をつくることでした。7年前よりもっと前には、私たちは警察による殺害についてはもちろん、警察による暴力について語るニュースさえ手に入れられなかったのです」

ガーザはまた、黒人の命は大切だと単に問うことさえアメリカにとっては重荷に過ぎたことも、記憶にとどめている。ジマーマンの無罪判決直後でさえもだ。「政治的な展望から言えば、BLMはまさに暗礁に乗り上げていました」と彼女は語る。「各種の世論調査を見てみてください。おおむねBLMのすべてを物語っています――この運動はまさに人々の気に障ったのです。また、政治的立場から言っても同様で、BLMを州議会に持ち込むことはできなかった。なぜならBLMは人々の頭の中では、たとえばブラックパンサー党と同義語。関わり合いになろうとしなかったのです」

そんな彼らも、いまやこの運動に参加している。フロイドの死の直後、2013年には人種に関する議論に近づこうともしなかった企業が、いまではBLMを口にしている。NFLのコミッショナーであるロジャー・グッデルでさえも心変わりしたのだ。NFLといえば、2016年のシーズン中、クオーターバックのコリン・キャパニックが警察による暴力と制度的レイシズムに抗議して、ひざまずいて非暴力的なプロテストを行った際、彼を追放したリーグだ。これは、広範にわたる白人による懺悔の時間の一部をなすものだ。ボストン・レッドソックスは黒人選手に対してファンが人種差別的な野次を飛ばしたことを謝罪しているし、NASCARはいつもスタンドを埋め尽くしていた南部軍旗を禁止、そしてパラマウントはあのあさましい『全米警察24時 コップス』をキャンセルし、30年間にわたって警察の暴力を美化し犠牲者を非人間化してきたテレビ界のゴキブリを始末した。

Translated by imdkm

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