ジョン・フルシアンテ、レッチリと共に生み出した8つの奇跡的瞬間

6.「スカー・ティッシュ」

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ヒットを記録した『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』後のジョン・フルシアンテ脱退により、バンドは90年代を通じて迷走し続けた(代役として加入したギタリストのデイヴ・ナヴァロとの相性は決して良くなかった)。しかし1998年に彼が復帰すると、欠けていたパズルのピースが埋まったかのごとく、バンドは再び輝きを取り戻す。問答無用のカムバック作『カリフォルニケイション』の発表に先立ち、1999年5月にリードシングルの「スカー・ティッシュ」が各ラジオ局とMTVで公開された。数多くの困難を乗り越えてきたことを感じさせるいぶし銀的な魅力と、クライマックスにおけるフルシアンテの美しいギターソロを誇る同曲は、2000年代に圧倒的な勢いを取り戻すバンドによる反撃の狼煙だった。ー A.G.



7.「ザ・ゼファー・ソング」

Mondelo/EPA/Shutterstock

『カリフォルニケイション』の次作となった、バンド史上最も過小評価されているアルバム『バイ・ザ・ウェイ』は、フルシアンテが先導する形で制作された。レイドバックしたメロディーや控えめなバッキングヴォーカルという同作の特徴は、表題曲や「ドースト」、そしてバンドの代名詞であるファンクを夢見心地なサイケデリアに置き換えた「ザ・ゼファー・ソング」でとりわけ顕著に現れている。「『バイ・ザ・ウェイ』の制作は、僕の人生において最も幸福な思い出のひとつになった」彼は当時そう語っている。「より優れた曲を書くこと、そしてギタリストとして腕を磨くこと。その2つだけに専念することができたからね」ー A.M.



8.『ステイディアム・アーケイディアム』

Kevin C. Cox/WireImage

レッチリにとって初の全米ナンバーワンアルバムとなった本作の発表後、フルシアンテは再びバンドを脱退する。ファンクロックを代名詞とする彼らは同作の制作中、強固なチームワークが可能にする新たな方向性を打ち出すと明言していた。バンドの士気がかつてなく高まる中で制作された同作は、それまで以上に一貫性とバランス感に優れた内容となった。2枚組の『ステイディアム・アーケイディアム』が宿した壮大な野心には大きなリスクも伴ったが、その成功を支えたのはフルシアンテの絶え間なく進化し続けるギターへのアプローチだった。同作の制作にあたって、彼は友人であるマーズ・ヴォルタ、そしてブランディ等のR&Bシンガーに影響を受けたとしている。「彼女の『アフロディジアック』がとにかく大好きなんだ」彼は2006年にSPIN誌にそう語っている。「僕のプレイにおけるブルージーな部分の多くは、ギタリストたちよりもビヨンセみたいなシンガーからヒントを得てることが多いんだ」レッチリの過去2作におけるスペーシーな作風とは対照的に、「ダニ・カリフォルニア」や「エスペシャリー・イン・ミシガン」等で、彼はオーバーダブを駆使したより肉厚なサウンドを追求している。同作は彼の才能が遺憾なく発揮された傑作のひとつであり、10年の時を経て再び最強メンバーが揃った新生レッチリへの期待を膨らませてくれる。ー B.S.



Text by PATRICK DOYLE & ANDY GREENE & ANGIE MARTOCCIO & HANK SHTEAMER & BRITTANY SPANOS & SIMON VOZICK-LEVINSON / Trtanslated by Masaaki Yoshida

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