『ファイト・クラブ』公開から20年、本作が今なお色褪せない理由

同作が脚本家としての処女作となったジム・ウールスは、小説における反社会姿勢の生々しさをスクリーンでどう表現するかという点に心を砕いた。彼の試みを支えたのは、『セブン』を含む数作(クレジットされていないものを含む)でフィンチャーとタッグを組んだアンドリュー・ケヴィン・ウォーカー、『真実の行方』『ラリー・フリント』『アメリカン・ヒストリーX』(庶民のヒーローを演じた)で圧倒的な存在感を示したエドワード・ノートン、そしてタイラー・ダーデンという超一級の男性アナーキストを『Girls Gone Wild』への回答へと転化させてみせたブラッド・ピットという3つの才能だった。28歳から40歳だった4人はその世代特有の価値観と、文化の深層に潜む醜く強力な何かを察知する稀有な感覚を共有していた。

そして何よりも、彼らはそれが風刺であることをよく理解していた。豊満な乳房を持つ男性キャラクターが登場し、男らしさという価値観の危険性に警笛を鳴らす本作は、ジョナサン・スウィフトの思想ともリンクする。「これはコメディなんだろう?」そう問いかけたというノートンに、フィンチャーはこう答えている。「もちろんさ。正真正銘のね」

そういった『ファイト・クラブ』の本質を悟った人もいれば、当然そうでない人もいた。

中には『Infinite Jest』(David Foster Wallace著)を思わせる比喩(IBM銀河系、マイクロソフト星雲、スターバックス惑星)や、果てしなくブラックなユーモア(ヘレナ・ボナム=カーターが象徴する死の女神、プロジェクト・メイヘムが発案した飛行機内での安全ガイド等)を難なく理解できた人々もいた。フィンチャーは後に、女性の方が笑うべきところに反応しやすい傾向があったと語っている。多くの男性は拳が骨を折る音、あるいは刃が骨に食い込む音に夢中で、肝心のパンチラインを聞き逃していたのだろう。


『ファイト・クラブ』撮影現場でのヘレナ・ボナム=カーターとデヴィッド・フィンチャー

その一方で、ダーデンの哲学や女性蔑視的なバンパーステッカーに共感し、「自己改善はマスターベーションに過ぎず、自己破壊こそが答えなのかもしれない」と本気で考えた人々がいたことは、その裏返しだったのかもしれない。本作の公開後、本物のファイト・クラブがアメリカ各地で発生した。またソーシャルメディアやチャットルームでは、世の中に不満を抱く人間同士の交流が生まれ、破壊は進化の第一歩だと主張した。彼らは怒りの矛先、そして目的意識を手にしたと感じていた。しかし彼らは、タイラーが率いたスペース・モンキーズが、ヘイトグループやテロリスト、ナショナリズム等からの前向きな退化を果たした、荒削りな知識人集団であるという点を見落としていなかっただろうか。

Translated by Masaaki Yoshida

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