ウッドストック50周年フェスが正式に中止、苦戦した主催陣の内幕

ウッドストック50の主要関係者の一人グレッグ・ペックは電通イージスの責任だと言う。電通イージスはもともとウッドストック50の金融パートナーだった企業で、4月に同フェスティバルの中止を発表した。しかし、のちに判事が電通イージスには同フェスティバルを中止する権利はないと明言する。「金融パートナーとの不運な論争が起こり、その結果として法的手段に訴えたことが我々を危機的な状況へと導き、我々の計画をぶち壊し、ワトキンスグレン以外の会場を探すことを余儀なくさせた。開催までに残された時間の短さもあり、ブッキングしたアーティスト全員のパフォーマンスが可能な収容能力のある会場の選択肢はほとんどなかった。ちゃんとしたトリビュート・イベントを実施するための方法を必死に探したし、土壇場でウッドストック50をサポートする素晴らしいアーティストたちの参加も決まったが、いかんせん時間的な余裕がなさすぎた」とペック。

このイベントの公式の中止が実現するまで相当の時間がかかった。本来は(オリジナルのウッドストックと同じ)8月16〜18日にニューヨーク州ワトキンスグレンで開催される予定であった。参加アーティストの多くはすでに出演料が支払われていたため、4月に中止が発表され、すぐに復活し、他の会場に移動し、再び暗礁に乗り上げるという成り行きを無言で見守りながら、彼らも最終的な決定を待っていた。ウッドストックの伝説のアーティストと若手アーティストが混在するヘッドライナーとして、キラーズ、マイリー・サイラス、サンタナ、デッド・アンド・カンパニー、チャンス・ザ・ラッパー、ジェイ・Z、イマジン・ドラゴンズなどが予定されていたが、彼らは誰一人として他の予定を入れずに、ほんの数日前までじっと待ち続けたのである。

ウッドストック50の一連のトラブルは、当初の投資会社の電通イージスが、チケット発売予定日から1週間経った4月29日に、同フェスティバルの中止を発表したことに端を発している。当時、電通イージスは声明で「これまで同フェスティバルに深く関与し、膨大な時間と労力を投じてきたが、我々はこのフェスティバルがウッドストックのブランド名に見合うイベントではなく、出演アーティストたち、パートナーたち、観客の健康と安全を確保できないと判断した」と述べていた。

のちにわかったことだが、電通イージスは、ラング&CO社が当事者としての責任を果たしていないため電通イージスが決定権を引き継ぐことが許される、と主張して、ウッドストック50との契約書にあった「制御オプション」を発動させたのだった。この時点で、本来15万枚のチケット販売を目論んでいた同フェスティバルは、集客数をその半数まで減らしてニューヨーク州から大集会の許可を得ようと考えていた。観客数を半減することによって収益も半減するのだが、それでも州からの許可は出なかった。

ラングは、投資会社には一方的に中止を決める権利はないとして、電通イージスの決定に異論を唱えた。チケット購入予定者に送られたニュースレターで、ラングはフェスティバルを計画通りに実施すると強調した。彼は「(資金提供者の電通イージスが)このように私たちを間接的に攻撃してフェスティバルの開催を阻む理由が理解できない。これは彼らにとってベストな方向性という一方的な決断だろうが、我々のことを一切考慮しないのは如何なものか。ウッドストックは電通の所有物ではないのだから、彼らにはフェスティバルの中止を宣言する権利などない」とニュースレターで伝えたのだった。しかし、我が道を進むラングは、次に制作パートナーのスーパーフライという強力な協力者を失うこととなる。スーパーフライはボナルーやアウトサイド・ランズの制作担当で有名な会社だ。彼らは電通イージスの発表後、3日ほどでウッドストックからの撤退を決めた。

そして、スーパーフライの撤退が決まった週の後半に、ラングは電通イージスに対して非難の声を上げた。金融パートナーであった電通イージスが1800万ドル近い資金をフェスティバルの銀行口座から「違法に引き揚げて」、開催を危うくさせたと主張したのである。そして、電通イージスが下劣な行為を行ったことで大企業との事業を恐れるようになったという内容の、電通イージス宛レターを公開した。

ウッドストック50の弁護士がニューヨーク州の最高裁判所に書類を提出したとき、ラングは電通イージスの協力を再び得るための最後の賭けに出た。同フェスティバルの弁護士が裁判所に求めたことは、電通イージスがメディア等と話すことを禁ずること、彼らが勝手に引き揚げた1780万ドルをウッドストック50に返金すること、会計の透明性を高めて、フェスティバルと協力することだった。裁判所に提出された書類には、件の金融パートナーは「秘密裏に中止を決定したあとで、決して実地できないように妨害した」と書かれていた。また、両者が交わした契約書では、フェスティバル中止の決定は書面での合意書を両者で取り交わして初めて成立するとなっていることにも言及した。電通イージスはフェスティバルの権利の引き継ぎを主張したことで、ラング側との見解の違いを証明した形になった。

Translated by Miki Nakayama

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