ウッドストック50周年フェスが正式に中止、苦戦した主催陣の内幕

このようなゴタゴタが続く間、前金で出演料が全額支払われた(合計で3200万ドル以上と言われている)アーティストたちをブッキングしたエージェントたちは、ことの成り行きを沈黙の中で見守っていた。この時点では出演料がどうなるのかわからなかったが、出演者の一人ジョン・フォガティは出演料を返さなくてもいいのであれば、この金の使い道は決めてあると言っていた。ちなみにフォガティはオリジナルのウッドストックにクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルの一員として出演したレジェンドである。「私は昔気質のアメリカ人だから、何もしないで金をもらうのは忍びない。だから、この金を善良な活動をしている団体に寄付するつもりだ。これがベストな使い方だよ」と、フォガティがローリングストーン誌に語った。

裁判の戦績は最終的にウッドストックも電通イージスも一勝一敗となった。担当裁判官のバリー・オストラガー判事は、電通イージスが合法的にフェスティバルを中止することはできないが、彼らが提供した資金を取り戻すのは問題ないと判断したのである。その後すぐに、ウッドストックが新たな投資会社オッペンハイマー&CO社とパートナー契約を結んだこと、そしてフェスティバルを開催する作業を続行することを発表した。しかし、6月に再び不幸に見舞われる。ワトキンスグレン・インターナショナルが契約を破棄すると発表したため、彼らは新たな会場探しを余儀なくされた。

このとき、オッペンハイマー&CO社の代表者はフェスティバルでの自分たちの役割を明確にした。「ウッドストック50はオッペンハイマーに彼らの金融アドバイザー役となる約束をし、ウッドストック50フェスティバルの制作資金を調達する協力を求めた。オッペンハイマーは同フェスティバルを制作することも、資金を提供することもない」と、彼らのスポークスマンがコメントを出したのだった。

それから約1ヵ月後、ウッドストック50がバーノンダウンズ・カジノ&ホテルに対して、開催場所の提供を打診していたことが明らかになった。(シラキュースから車で1時間弱の)ニューヨーク州バーノンは小さな町で、住人は即座に開催を拒絶した。彼らは近くの町ロームで行われたウッドストック99の大失敗を覚えていたのである。しかし、ラング&CO社は地元民専用VIPルームの確保と新たな遊び場建設のための寄付を約束して、地元民に対して必死に懇願し続けた。ところが町の計画委員会は、ウッドストックのフェスティバル開催申請を4度も却下したのである。ウッドストックの主催者たちは無料の食事を振る舞う説明会を行って地元民を懐柔しようと試みたが、これも成功には至らなかった。そして7月16日の火曜日に町の役人が投票を行い、全員一致でバーノンでのフェスティバル開催の禁止を決定した。この翌日、ウッドストックの広告を担ってきたヴァージン・プロデュースト社が撤退を表明する。

「我々が望み通りの決定を得られないのであれば、それについて熟考しないといけないだろう」と、ラングは最終決断を下す前に市役所のスタッフに告げたという。「今年の企画が上手くいかないのなら、今年の開催は無理だということだ。出来ることはすべてやった。最善を尽くした。フェスティバルの実現に向けて、今後も何らかの方法が見つかるまで一生懸命頑張るつもりだ」と。

バーノンダウンズが4度目の申請を却下したときでも、主催者たちはフェスティバルの開催を諦めてはいなかった。彼らは次のターゲットをメリーランド州コロンビアのメリウェザー・ポスト・パヴィリオンに決めて、無料イベントの噂を流布した。その週末はすでにスマッシング・パンプキンズがブッキングされていたにも関わらずに、だ。しかし、この会場を運営するIMPの会長セス・ハーヴッツは、価値のあるラインアップを組めるのであればフェスティバルの開催に協力してもいいと言った。中止が決定した現在も、ハーヴィッツはウッドストックと喜んで手を組むという。

「こちらにはウッドストック並のフェスティバル開催に適した会場を準備できる能力はあったが、時間的にあまりにも遅すぎた。十分な準備期間をもらえるなら、メリウェザーはオリジナルのウッドストックの雰囲気を持った将来のウッドストック会場となるだろう。ここでやってほしい人が沢山いるのは明らかだ」と、ハーヴィッツが教えてくれた。

ハワード郡最高責任者カルヴィン・ボールは、メリウェザーという好立地を鑑みると、ウッドストックの開催が中止になって落胆していると言い、「この記念となるイベントの文化的特性を知っている者として、出来る限り協力してこのフェスティバルの開催を実現したかった。残念なことに、フェスティバルのプロモーターたちは自分たちの義務を全うすることができず、ウッドストック50がメリウェザー・ポスト・パヴィリオンで開催されることはなくなった。このフェスティバルで『平和と愛』の記念を祝いたいと思っていた人々同様に私も落胆している」というコメントを出した。

Translated by Miki Nakayama

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE