マイク・Dとアドロックが語る、ビースティ・ボーイズ回想録の秘密

1994年、「サボタージュ」のミュージック・ビデオのセットにて。左からアダム・ヤウク、マイク・D、アドロック。(Photo by Spike Jonze)



それだけでなく、本作は2012年にガンでこの世を去ったバンドメンバーであり親友でもあった故アダム・ヤウクへのトリビュートでもある。ヤウクの死によってバンドの物語はあまりに早い悲劇的な結末を迎えた。それはバラエティ豊かなビースティ・ボーイズの作品にも言えることだ。ミックスに欠かすことができない、ひとりの声が欠けてしまったのだ。「もう違う」とマイクがぽつりと言った。「ヤウクがいないからね」。

書籍の計画は10年以上も前から存在していた。そのきっかけが、ドラッグやアルコールなどの依存症を克服して「生まれ変わった」KORNのベーシスト、‘フィールディー’ことレジナルド・アーヴィツが2009年に出版した自伝「Got the Life」を書店で見たことだったとアドロックは冗談っぽく言った。「悪気なしに、フィールディーはいい書き手だと思うよ。でも、俺たちにも書ける気がした」とホロヴィッツは言った。

もう少しシリアスな理由としては、1979年公開のザ・フーの「キッズ・アー・オールライト」のようにクラシカルなドキュメンタリー作品をビースティー・ボーイズでも実現したいと思ったヤウクの長年の夢があげられる。「バンドになる前からドキュメンタリーを作りたかったんだろうな」とダイヤモンドが言った。「ヤウクはあの映画が大好きだったから」。

ヤウクを亡くしてから2年が経った2014年、まだ悲しみを乗り越えられずにいた2人の旧友は、当時マイクが暮らしていたブルックリンのキャロル・ガーデンズのアパートメントで再会を果たし、昔を懐かしみながら数日間を一緒に過ごした。別れる頃には思い出を書き記した長いリストが出来上がっていた。2人は手分けして、思い出を短い章ごとに自ら執筆しはじめた。「電話で話し合ったり、写真を交換したりしたよ」。アドロックは言った。「携帯で撮影した過激な写真を除いてね。アソコ丸出しの写真はこれまで何枚も交換してきたけどさ。そのときは送ってないよ」。

自伝を書くことは簡単ではなかったとマイクは振り返る(「なんてつまらないんだ、ってショックを受けた」と言った)。その一方、アドロックは作業に熱中した。「毎日書いたよ。本当に好きだった。それに、ほかにやることもなかったから」と言った。

マイクがラジオ番組Beats 1で人気DJとして活躍する一方、カリフォルニア州パサデナにパンクの先駆者である妻のキャスリーン・ハンナと暮らしているアドロックは、近年あまり目立った活動をしていない。アドロック本人が言うには、ハッパを吸ったり、小籠包の味見をしたりして一日を過ごしているそうだ。「何もしない。ひたすらのんびりする。最高だよ」。最新の音楽にも興味がないようだ。「ラジオを聴いていると全部の曲が嫌いになってくる。結局はいつも同じカーディ・Bのクソみたいな曲を47回聴かされるハメになるから」。アドロックは自身のバンドの不朽の人気についてもよく理解していない様子だ。「なんであんなにアルバムが売れたのか、なんであんなに大勢の人がライブに来てくれたのか、わからない」とアドロックは言う。「たとえばだけど、これから音楽を聴こうってときにあえて『サボタージュ』を選ぶかな? 変な選曲だと思うよ」。

Translated by Shoko Natori

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