驚きのチャート1位、Yella Beezyがラジオプロモーションのベテランと組んだ理由

11月にはニューアルバムのリリースを控えるYella Beezy(Photo by Annie Devine)



「That’s on Me」を広めるために、ライデンアーがとった戦略はシンプルだった。「市場調査と、オーディエンスとの関係構築さえうまくいけば、ダラスのマーケットは十分大きいから、全国規模でも同じ規模のブームを生み出せないはずはない」

「まさかの大ヒット、という一面がこの曲のキモだった」と、彼は続ける。「7日間で20回、25回も同じ曲をかけ続ければ、一夜にしてヒットは生まれるものさ」。彼がアトランタの番組ディレクター、シャーロットとメンフィスにこう説明すると、2人は言われた通りにした。ほどなくして、「That’s on Me」は他の都市でも同様にオンエアされ始めた。

今の時代、ラジオでヒット曲を生み出すのは簡単ではない。今年の夏は特にハードルが高かった。4月から9月にかけて、ポスト・マローンからカニエ・ウェスト、ジェイ・Zにビヨンセ、ドレイク、トラヴィス・スコットからエミネムに至るまで、ヒップホップ寄りのメジャー系アーティストのほぼ全員がアルバムをリリースした。だがライデンアーは悠長に構えていた。「メジャーレーベルはおうおうにして、商品を多く抱えているがためにひとつの楽曲に専念するヒマがない」と、名プロモーターは言う。「次から次へと送り込まれる新作のスピードに追いつくだけで精いっぱいなのさ」 。 彼にはそんな悩みはどこ吹く風。ひたすら「That’s on Me」をプッシュし続けた結果、作品はじわりじわりとチャートを上昇。ヘビーローテーション入りしようとしまいと、関係なかった。

「毎週のように、我々は曲の宣伝に努めてきた」とライデンアー。最終的に「That’s on Me」はフィラデルフィアの牙城をやぶり、北東部を制圧。9月に入る頃には、Beezyは週5000回のオンエアを獲得していた。



ジェイ・Zとビヨンセ陣営から電話が届いたのは、そんなときだった。「彼らは、俺にビヨンセのコンサートに出演してほしいと言ってきた」と、Beezyは当時を振り返る。彼の答えは「当然!」の一言。地元カウボーイズ・スタジアムで演奏を終えた後、Beezyはさらにヒューストンで、2人のビッグアーティストの前座を務めた。「ダラスの観客は俺のことを既に知ってたから、それほど騒がれなかった。でも俺はヒューストン出身じゃないから、(ヒューストンで演奏したときは)もう一人のスターが来たみたいな待遇だった。あっちのほうがめちゃくちゃクレイジーだったぜ」

「That’s on Me」がオンエアNo.1を達成したのをうけ、Beezy陣営は目標を「Up One」に移した。ロードムービーを音楽で表現したような、聴いているうちに疾走感に包まれる新曲だ。Beezyは、得意の三音節の節回しをここでも披露。「that’s on me」を「I’m up one」に差し替えた簡潔なサビは、王者の風格を備えている。言葉数が少なくなるのも当然かもしれない、Beezy自身、この曲を「エネルギー満載の曲」と認めている。「スターの仲間入りになったって気分さ」という彼は、今年11月にアルバム・リリースを控えている。

テキサス中のラジオ局の編成スタッフは、Beezyの成功が地元のラップ界に与える影響を熱く語っている。「すごくうれしいよ。人々がテキサスの音楽シーンを思い浮かべるとき、(ヒューストン系以外の)多様性をもたらしてくれる地元のアーティストが生まれたんだから」と、トーマス。「ダラスにも音楽シーンは存在する。たとえ全米の注目を集めるほどじゃないにしてもね」と、マックレイも付け加えた。「ダラスから才能を発掘したなんて、最高だよ。この街にも才能のあるヤツがいるんだってことを思い知らせてやろうじゃないか」

だが、Beezyの成功は大きなオマケも生み出した。テキサス出身か否かを問わず、ラッパーたちを安心させる材料が見つかったのだ。メジャーレーベルから予算を引っ張り出さずとも、またストリーミング・サービスでのプロモーションに頼らずとも、Beezyがヒットを飛ばせたなら、俺たちにもできるはずだ、と。


Translated by Akiko Kato

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