ジョージ・マーティンはいかにして世界を変えたか

ジョージ・マーティンは、初めからビートルズの直感を信じ、彼らが「音楽」で成し遂げたい夢を理解していた。


リンゴも指摘していたとおり、ジョージ・マーティンは"純粋な12インチ派"、つまりロックンロールのシングルを次から次へと作り出すタイプというよりは、古典的なLPの時代の人間だった。ビートルズは彼のことを"マーティン氏"、時にはふざけて、"エジンバラ公"と呼び、まさか彼がノース・ロンドンの労働者階級の出身で、第二次大戦従軍中にロンドンなまりを捨て去っていたとは思いもしなかった。60年代にビートルズが世界を変革する手助けをしている時にも、彼は品の良い学校教師のような服を着て、ドラッグに近づくこともなかった。「私はロックンロールな人間ではないんだ」と彼はかつて認めている。「実は今も昔も、タートルネックのセーターは好きなんだ。風変わりなブレザーも大好きだったりするんだが、意識的に彼らに同化しないようにしていた。ビートルズが活動を停止するまで、髪も伸ばさなかった」

山積みのデモ・テープから、マーティンがこのリヴァプールの少年たちの可能性を見いだすまでには、数多くのレーベルがビートルズのデモ・テープを見送っていた。ブライアン・エプスタインがこの話をするたびに、ビートルズを却下したレーベルのリストは長くなる一方のようにも思えた。デモ・テープは飼い慣らされたような内容だった。エプスタインの趣味もあって、『ベサメ・ムーチョ』的な陳腐な楽曲に偏っていた。しかし1962年6月6日にマーティンが彼らをパーロフォン社までオーディションに呼び寄せた時、彼らは『ベサメ・ムーチョ』をチラッとやった後で、賢明にも『ラヴ・ミー・ドゥ』を売り込んできたのだった。マーティンが彼らに、何か問題があったら何でも言ってくれと告げると、ジョージ・ハリソンがこう答えたのは有名だ。「そうですね、まずはあなたのネクタイが嫌いです」

Translation by Kuniaki Takahashi

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