ジョージ・マーティンはいかにして世界を変えたか

ジョージ・マーティンは、初めからビートルズの直感を信じ、彼らが「音楽」で成し遂げたい夢を理解していた。


彼がビートルズと一緒に制作したアルバム1枚1枚が、彼とバンドの優秀さの記録である。しかし、ビートルズに自分で曲を書かせたということは、ジョージ・マーティンが下した最良の決断であった(そして、当時は普通のやり方だったはずの、クレジットに自分の名前を入れる、ということもしなかった。ジョージ・マーティンがビートルズを食い物にし損ねたことは、彼らのストーリーの中でも説明が付いていないままである)。

『プリーズ・プリーズ・ミー』には全てがあった。メンバーが風邪を引いていたことは聞けば分かるが、マーティンは10時間なら声は持つはずだと計算した。レコーディング・セッションの間中、彼らはせき止めドロップをなめながら、チェーン・スモーキングも欠かさない。朝一番でやったのは『ゼアズ・ア・プレイス』と、いまだに彼らが『17歳』という愛称で呼んでいる『アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア』だ。昼休みになって、スタジオのスタッフがパイとビール目当てにパブに出払ってしまっても、驚いたことにビートルズは一緒に出ていこうとはしない。彼らはマーティンに、スタジオに残ってリハーサルをやってるよとミルクを飲みながら告げた。エンジニアのリチャード・ランガムは後に振り返っている。「あれは信じられなかった。ランチブレイクも取らないで働き続けるバンドは見たことがない」。ムダにする時間などないのだ。翌日にはまたツアーの予定があり、一晩に2ステージが予定されている。1か所はシェフィールド、もう1か所は60キロも離れたオールダムだ。リンゴがシュレルズの『ボーイズ』をワンテイクで録り終える。この時リンゴはレコーディング・スタジオで生涯初めて歌ったのだが、そのバージョンがアルバムに収録された。ギター・ソロに入る前のリンゴの「オールライト、ジョージ!」というセリフもそのままだ。

時計は夜10時を指そうとしている。EMIスタジオの厳しい規則によると。店じまいの時間だ。しかし、アビーロードの社員食堂でみんなでコーヒーを飲んでいた時、ジョンがもう1曲なら声が持つと発表する。彼はミルクでうがいをし、シャツを脱ぎ捨てる。バンドは『ツイスト・アンド・シャウト』に攻め込んでいく。ジョンは声を削るように、一つ一つの"カモン"を絞り出す。マーティンは2回目の演奏をやらせてみたが、ジョンはもう声が出なくなっていた。みんなでプレイバックを聴き、その後スタッフがあきれたことにメンバーはもう1回聞きたいと言い出すから、もはやスタッフ全員で残業だ。これでアルバムが完成、イギリスのチャートで30週連続で1位となった。このアルバムに代わって1位の座についたのは、やはりビートルズの『ウィズ・ザ・ビートルズ』で、こちらは22週連続で1位だった。

Translation by Kuniaki Takahashi

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